数々の先鋭的なファッションブランドを日本に紹介してきた松本宗篤さん。
そんな松本宗篤さんの現在の動向は気になるところです。
ここでは松本宗篤さんのプロフィールや過去の経歴を紹介し、その周辺環境と照らし合わせながら、松本宗篤さんの人物像のディテールを描写していきます。
松本宗篤さんの真の人物像はいかなるものか、そして今後どのようなギフトを私たちにもたらしてくれるのでしょう。
集められる限りのデータから松本宗篤さんの人物像に迫ります。
なお、この記事にはプロモーションの意図が含まれていることをご了承ください。
松本宗篤の本職・肩書は
松本宗篤さんを語るとき、肩書としてもっとも相応しいのは実業家です。
常にファッショナブルな衣装に身を包み、数々のファッションブランドを日本に紹介してきたセンスを目の当たりにすると、ファッションプランナーやデザイナーと呼びたくなる方も多いことでしょう。
そのセンスはおそらく生来のものであり、多くの出逢いと経験によって培われてきたものに違いありません。
松本宗篤さんは数多くのブランドを日本に紹介してきた希代の実業家です、
松本宗篤のプロフィールと家族構成
実業家・松本宗篤さんを語るには、その基本となる生い立ちと現在を知る必要があるでしょう。
ここでは松本宗篤の生誕地・生年月日から家族構成までを紹介します。
松本宗篤のプロフィール
松本宗篤(まつもと むねあつ)さんは1972年に東京都内で生まれました。
1972年はうるう年で秒の追加が年内に2回も行われたという、歴史上もっとも長い一年間といわれています。
日本では、グアム島で発見された元日本兵の横井庄一さんの帰国に始まり、札幌オリンピックの開催や、連合赤軍によるあさま山荘事件など波乱万丈の一年だったといえます。
国際的にもパキスタンがイギリス連邦離脱、日本と台湾との国交断絶、イラクが石油燃料を国営化するなど大きな変革のあった年です。
松本宗篤はそんな長い一年の夏の真っただ中、8月17日に産声を上げています。
松本宗篤さんの鋭敏なファッションセンスを磨いていったのはA型という血液型の繊細な感性によるものかも知れません。
明治大学付属属中野高校を卒業後、ビジネス界におけるアメリカの名門校ペパーダイン大学で実業家としての基礎を学びます。
そして、さまざまな出逢いからキャリアを積み重ね、現在はパリとミラノ、東京を中心に活動しています。
松本宗篤の家族構成
松本宗篤さんは既婚者で子供もいます。
活動拠点はパリ・ミラノ・東京ですが、家族は東京在住です。
子供の性別と年齢についての情報を得ることはできませんでしたが、インターナショナルスクール在学中という情報を得ています。
自分と同じく、もしくはそれ以上のグローバルな活躍を期待する親心からでしょうか。
父親としての温かい眼差しが感じ取れます。
松本宗篤の学生時代から創業まで
松本宗篤さんは明治大学付属中野高校を卒業してすぐにペパーダイン大学に留学したわけではありません。
まず、ロサンゼルスの語学学校へ通い語学を習得。
そして、ビジネスやアート系の学部が充実したロサンゼルス郊外のオレンジコーストカレッジへ入学しました。
オレンジコーストカレッジは他校への編入実績の高いコミュニティカレッジであり、松本宗篤も順当に全米屈指の施設充実度を誇るペパーダイン大学へ進学します。
国際色豊かなペパーダイン大学でビジネス学を深め、ルームシェアしたフランスの友人に影響を受けたことがファッション業界への一歩となったようです。
レガッタ部のレギュラーメンバーとしても活躍し、頭脳も感性も肉体も存分に鍛えられました。
帰国するとファッション業界へ、そして1998年、革素材を中心に取り扱う貿易会社を創業します。
松本宗篤さんの実業家としてのスタートです。
1972年生まれの実業家・有名人
松本宗篤さんの生まれた1972年には、同じ実業家としてネームバリューの高い堀江貴文や芸能界のご意見番として引っ張りだこのマツコ・デラックスに中居正広、日本プロ野球界の異端児、新庄剛志らも産声を上げています。
いずれも個性的という言葉では表現しきれないほど強烈なインパクトのある方々です。
特にマツコ・デラックスは、松本宗篤さんが日本法人を設立しCEOを務めていた「ヴァレクストラ」のバッグを愛用しているとのことで、何らかのつながりがあるのかも知れません。
ペパーダイン大学とは

ペパーダイン大学は1937年創立のキリスト教系の総合大学です。
全米屈指の施設充実度を誇り、太平洋が一望できる美しいキャンパスを持ちます。
ビジネス分野の充実度が著しく、コミュニケーション学や生物学、コンピュータサイエンス分野においても評価の高い大学です。
アメリカ国内でも難易度の高い大学の一つであり、GPA(高校時代の成績の平均値、4.0が満点とされる)の数値は3.8を示します。
また、U.S.News誌などの大学ランキングでは常に上位にランクイン、日本人の留学先として人気の高い大学の一つです。
ペパーダイン出身の有名人
ペパーダイン大学といえば、2003年の衆議院選挙で当選した政治家が、中退を卒業と偽っていたニュースで一躍有名になりました。
大学としては迷惑極まりない話ですが、アメリカ国内でもトップクラスの知名度を誇る大学を卒業するか中退するかでは大きな差があるのは確かです。
日本人では今日の女子プロレス隆盛の立役者であるマッハ文朱、杉良太郎の息子で俳優の山田純大が卒業しています
ビジネス分野ではNFLセントルイス・ラムズのオーナー、ジョージア・フロンティアが有名です。
プロスポーツ選手も多く、NBAのダグ・クリスティやデニス・ジョンソンなど。
MLBでは1986年のサイ・ヤング賞投手となったマイク・スコットも名を連ねています。
また、日本のプロ野球で広島東洋カープが初優勝したときの立役者ホプキンス選手も卒業しています。
ホプキンス選手は野球選手としての傍ら医学を勉強、医大へ進学して博士号まで取得しました。
松本宗篤さんも在学中はレガッタ部のレギュラーとして活躍していました。
ペパーダイン大学出身者は、学問にもスポーツにも全力で取り組む傾向が見てとれます。
松本宗篤の経歴~松本宗篤が日本にもたらしたもの

松本宗篤さんは帰国後の1998年の創業以来、一貫してファッション業界を中心としたビジネスを展開しています。
主な略歴は以下の通りです。
- 1998年 革製品ブランドのマネジメントや企業への投資、M&Aの会社を設立
- 2005年 「ブルーノマリ・ジャパン」の共同オーナー兼代表取締役に就任
- 2007年 「ボルサリーノ・ジャパン」の創業者兼CEOに就任
- 2008年 「ヴァレクストラ・ジャパン」の創業者兼CEOに就任
- 2009年 「ジャンヴィトロッシ・ジャパン」の創業者兼CEOに就任
いずれの会社も創業者兼CEOとして名を連ね、しかも重複している期間も長いため多忙を極めたことが推し量れます。
それぞれのブランドが日本に定着したのは、松本宗篤の功績の一つです。
以下に各ブランドの概要を解説します。
ブルーノマリ
「ブルーノマリ」はイタリアきっての老舗のレザーブランド。
1936年にマリーノ、ブルーノ、マリーアのマリ三兄弟がボローニャで創業しました。
厳選された上質の素材と、職人のハンドメイドで生み出された靴が有名で、王室やセレブ御用達のブランドとしても有名です。
2015年には投資会社マーキーズブランズによって買収されました。
日本法人の「ブルーノマリ・ジャパン」は2014年に閉鎖しています。
ヴァレクストラ
「ヴァレクストラ」は、1937年にミラノで設立されたレザー商品専門のラグジュアリーブランドです。
ブランドロゴを主張しない最高品質のレザーアイテムを職人の手作りで提供。
機能性とファッション性を兼ね備え、絶えず追求し続ける真摯な姿勢は「イタリアのエルメス」とも評されています。
作品の一つ「PREMIER」はNY近代美術館MOMAに永久展示されるほどの美術的価値を持ち、今なお最高級の革製品を世に送り出し続けているブランドです。
「オーダーメイドの達人」としても知られ、イニシャルの刻印をつけたオリジナルのヴァレクストラを持つことも可能です。
2008年に「ヴァレクストラ・ジャパン」を立ち上げた松本宗篤さんは、日本への普及に一定の成果を認めると2020年に株式を本国の法人に売却してイグジットします。
ジャンヴィトロッシ
「ジャンヴィトロッシ」はイタリアのラグジュアリーシューズブランドで、世界的なシューズブランドの創業者セルジオロッシ氏の息子ジャンヴィトロッシが2006年に創業しました。
比較的新しいシューズブランドですが、設立されたサン・マウロ・パスコリ地区はイタリアでもっとも有名な靴作りの町。
激戦区で磨き抜かれたエレガントなフォルムと、新素材カーボンファイバーを使って軽量化させた履きやすさは新時代シューズとして注目を集め、セレブを中心に人気上昇中です。
松本宗篤さんによって設立された「ジャンヴィトロッシ・ジャパン」は東京・大阪・京都に店舗を構え、その他多くのセレクトショップにも商品を提供しています。
ボルサリーノ
「ボルサリーノ」は1857年にイタリアのジュゼッペ・ボルサリーノが創業した世界的な帽子ブランドです。
創業160年を過ぎてテクノロジー真っ盛りの現代においても、全工程を自社工場で手掛ける一貫生産体制を守りつづけ、クラフトマンシップ溢れる帽子作りを続けています。
その人気ぶりは、1900年のパリ万博のグランプリ受賞で世界的知名度を得たことを皮切りに、伝説の俳優ボギーことハンフリー・ボガードが愛用していたことで定着しました。
また、日本のアニメ「ルパン三世」の次元大介の定番アイテムとなっていたことでも知られています。
1969年に公開されたアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドのダブル主演による映画では、タイトルにそのまま「ボルサリーノ」と命名され、日本でも人気を博しました。
松本宗篤さんが2007年に設立した「ボルサリーノ・ジャパン」は2023年3月1日付けで「中央帽子」へ事業譲渡されています。
松本宗篤の現在
松本宗篤さんは現在も1年の大半をイタリアやフランスで過ごし、東京と行き来しています。
ファッション業界を中心にM&Aによるヨーロッパブランドの買収や、イグジットした企業の成長や戦略に関するアドバイザーとして活躍中です。
また、これまでのように日本へ普及させるというビジネスではなく、世界戦略への準備を進めているといわれています。
その一環がエコへの取り組みです。
アメリカのパリ協定離脱でSDGsについて問われている昨今ですが、松本宗篤さんはこうした動きのずっと以前から環境へ配慮したファッションアイテムへの取り組みを進めています。
【まとめ】エコに取り組む実業家・松本宗篤の未来への期待
日本のファッションビジネス界の第一人者といっても過言ではない松本宗篤。
数多のラグジュアリーブランドの日本普及に尽力し、一つの役目を終えた今、いよいよ世界の松本宗篤へのスタートを切る時期に差し掛かっているようです。
SDGs時代のさなか、ファッション業界でも早くから大量生産と大量消費による資源枯渇と環境汚染が問題となっていました。
リアルファーの禁止や脱炭素への取り組み、衣服の再使用などがラグジュアリーブランドを中心に積極的に行われています。
環境に配慮した持続可能な地球全体を巻き込んだ取り組みは、もはや待ったなしの状況。
鋭敏な松本宗篤が、次にどのような事業展開を見せるのか、あるいは企業を立ち上げるのか興味は尽きません。
松本宗篤は常に私たちの先を走り、期待以上の結果を残してきました。
今後も、私たちに多くのものをもたらしてくれるに違いありません。
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