【大和言叶】身体·情感·装扮篇|如果获得日本国籍并生活在日本,那么就要记住这些。
【Yamato Dili】Bedensel, Duygusal ve Giyim Bölümü|Japonya vatandaşlığı alıp yaşamaya başlayacaksanız, bunları aklınızda bulundurun.
石破茂総理大臣の仰っていた七面倒臭い日本語についての解説コラムです。そもそも七面倒臭いことが日本なのであって、七面倒臭いからこそ他国の追随を許さない高い技術で世界の経済界をリードし、高貴な精神性で世界の範となってきたのではなかったでしょうか? よく考えて喋りたいものです。
「大和言葉」なくして日本での生活は成り立ちません。議論によって国家形成してきた他国と異なり、感性を重視してコミュニケーションをとってきた日本人には、それこそ「言わずもがな」のような言葉を必要としない理解力があります(判然としない曖昧さや政治家の逃げ口上となるケースも多々ありますが……)。
しかし、それが今日の、他国が羨む高い技術や文化・精神性となって表れていることも確かです。今後、この細長く急峻な地形の島国で生活していくなら、こうした背景を理解したうえで、居住まいを直して「郷に入れば郷に従う」心構えでなければ生き抜くことは難しいでしょう。飽きたら国を出る程度の覚悟なら、初めから来ない方がお互いのメリットとなります。
在日本,没有“大和言叶”的生活是无法成立的。与通过争论形成国家的其他国家不同,日本人重视感性进行沟通,拥有不需要“言外之意”的理解力(虽然有时也会出现模糊不清的情况,或者成为政治家的借口……)。
然而,这确实表现在今天其他国家羡慕的高技术、文化和精神性上。如果将来要在这个细长而陡峭的岛屿国家生活,就必须理解这些背景,以端正态度,抱着“入乡随俗”的心态生活,否则生存将会很困难。如果只是抱着厌倦就离开国家的心态,那么从一开始就不来对双方都是更好的选择。
Japonya’da yaşam, “Yamato Dili” olmadan mümkün değildir. Diğer ülkeler tartışmalarla ulus oluştururken, Japonlar duygulara önem vererek iletişim kurmuşlardır ve bu nedenle “açıkça söylenmesine gerek olmayan” gibi kelimelere ihtiyaç duymayan bir anlayışa sahiptirler (bununla birlikte belirsizlikler veya politikacıların kaçış cümleleri haline gelen durumlar da sıkça görülmektedir…).
Ancak, bunun bugün diğer ülkelerin kıskandığı yüksek teknoloji, kültür ve ruhsal değerler olarak kendini gösterdiği de kesindir. Gelecekte bu ince uzun ve dik arazili ada ülkesinde yaşamaya devam etmek istiyorsanız, bu arka planı anlayarak, tutumunuzu düzeltmeli ve “gittiğiniz yerdeki kurallara uymalısınız” anlayışıyla hareket etmelisiniz; aksi takdirde hayatta kalmak zor olacaktır. Sadece sıkıldığınızda ülkeyi terk etmeyi düşünüyorsanız, baştan gelmemeniz her iki taraf için de daha faydalı olacaktır.
Life in Japan cannot exist without “Yamato words.” Unlike other countries that have formed their nations through debate, the Japanese, who prioritize sensitivity in communication, possess an understanding that does not require words that are “self-evident” (although there are often cases of ambiguous uncertainty or politicians using evasive language…).
However, it is also true that this has manifested today as high technology, culture, and spirituality that other countries envy. If you are going to live in this long and steep island nation in the future, it will be difficult to survive without understanding this background and adopting the mindset of “when in Rome, do as the Romans do.” If your resolve is only to leave the country when you get bored, it would be better for both parties if you didn’t come in the first place.
- 日常の深淵に融け込む大和言葉
- 【大和言葉】身体の動きと行動にまつわる表現
- 身をかわす (み を かわす)
- 身悶えする (みもだえ する)
- 身を斜によける (みをはすによける)
- 体が戦慄く (からだ が わななく)
- 身を沈める (み を しずめる)
- こごまる (こごまる)
- 腰を浮かす (こし を うかす)
- 及び腰 (およびごし)
- 膝を突き合わせる (ひざ を つきあわせる)
- 膝を叩く (ひざ を たたく)
- 肩で息をする (かた で いき を する)
- 肩をすくめる (かた を すくめる)
- 肩をつぼめる (かた を つぼめる)
- 肩をはる (かた を はる)
- 肩肘を張る (かたひじ を はる)
- 肩をそびやかす (かた を そびやかす)
- 肩で風を切る (かた で かぜ を きる)
- 丹田に力を入れる (たんでん に ちから を いれる)
- 懐手する (ふところで する)
- 腕をこまねく (うで を こまねく)
- 手をかざす (て を かざす)
- 手庇 (てひさし)
- 揉み手をする (もみで を する)
- 差す手引く手 (さすて ひくて)
- 手刀を切る (てがたな を きる)
- 指先に唾をつける (ゆびさき に つば を つける)
- 指折り数える (ゆびおり かぞえる)
- 頬杖をつく (ほおづえ を つく)
日常の深淵に融け込む大和言葉
大和言葉における身体表現、感情、そして伝統的な装いに関する言葉は、単なる語彙の集合体を超え、日本人の身体感覚、感情の機微、美意識、そして社会規範を深く映し出しています。これらの言葉は、具体的な動作や状態を通じて、抽象的な心理や文化的な価値観を表現する独自の豊かさを有し、日本で日本人としてコミュニケーションするうえで欠かせないものになっています。
本報告書は、身体の動き、顔の表情、感情、そして伝統的な装いという主要なカテゴリに分類し、これらの語句が持つ多層的な意味合い、歴史的変遷、そして現代における用法を辞書学的な厳密さと文化言語学的な洞察をもって包括的に分析し、その深層を解説します。
【大和言葉】身体の動きと行動にまつわる表現
身体表現にまつわる大和言葉は、物理的な動作が内面的な状態や社会的な態度を象徴する、日本語慣用句の典型的な特徴を示します。ボディランゲージという言葉があるように、身体は感情や意図を表現する媒体でもあります。
特に日本においては、非言語的コミュニケーションや「察する」「空気を読む」文化が重視されてることと深く関連しているといえるでしょう。日本で生活するなら、身体の動きから相手の意図や感情を読み取る能力が、円滑な人間関係構築に不可欠です。
日本語は言葉だけでなく、身振り手振りや姿勢を通じて感情や意図を伝える文化的な傾向を反映し、身体と精神の一体性を重んじる思想が垣間見えます。
また、直接的な行動を避け、傍観や回避を選ぶ表現が多い点も注目される。これは、集団の和を乱さない、あるいは不必要な対立を避けるという日本社会の価値観が言語表現に反映されているからでしょう。直接的な対立や介入を避ける傾向は、「和を以て貴しとなす」という日本の伝統的な価値観です。身体的な動作を伴う大和言葉が、このような間接的な行動様式を表現していることは、対人関係における調和と円滑さを重視する文化的な背景が言語に深く刻まれていることを表します。
以下に、本セクションで解説する身体動作慣用句の分類と、それが表現する心理状態・態度をまとめた表を示します。
慣用句 | 主要な身体部位 | 主要な意味 | 表現する心理状態・態度 |
身をかわす | 身 | 物理的回避、責任・困難の回避 | 巧みさ、素早さ、消極性、戦略性 |
身悶えする | 身 | 苦しみや悲しみによる身体のよじれ | 苦痛、いらだち、悲しみ、感情の激しさ |
身を斜によける | 身 | 物理的斜め回避、皮肉な態度 | 警戒、身構え、ひねくれ、不真面目さ |
体がわななく | 体 | 恐怖・興奮・寒さなどによる震え | 感情の昂ぶり、生理的反応、制御不能 |
身を沈める | 身 | 身投げ、落ちぶれる、姿勢を低くする | 絶望、失意、謙遜 |
こごまる | 体 | 寒さ・恐怖などで体を丸める | 萎縮、寒さ、恐怖、恥じらい、元気のなさ |
腰を浮かす | 腰 | 立ち上がり準備、退去したい気持ち | 不安、退屈、次の行動への移行 |
及び腰 | 腰 | 自信がなく、おどおどした態度 | 躊躇、消極性、曖昧さ、臆病さ |
膝を突き合わせる | 膝 | 近く向き合う、腹蔵なく話し合う | 親密さ、率直さ、信頼関係 |
膝を叩く | 膝 | 感心・ひらめきによる動作 | 感嘆、納得、ひらめき |
肩で息をする | 肩 | 激しい呼吸、疲労困憊 | 疲労、苦しさ、極度の緊張 |
肩をすくめる | 肩 | 恥ずかしさ・困惑・諦めによる動作 | 困惑、諦め、恥じらい、無力感 |
肩をつぼめる | 肩 | 寒さ・肩身の狭さによる萎縮 | 元気のなさ、しょんぼり、恐縮 |
肩をはる | 肩 | 意地を張る、気負う、威張る | 強気、自信、見栄、威厳 |
肩肘を張る | 肩・肘 | 気負った堅苦しい・威張った態度 | 堅苦しさ、気負い、不自然な威勢 |
肩をそびやかす | 肩 | 肩を高く立てて威勢を示す | 得意げ、高ぶり、権勢誇示 |
肩で風を切る | 肩 | 大威張りで歩く | 威勢が良い、得意げ、自信、権勢誇示 |
丹田に力を入れる | 丹田 | 臍下丹田に意識集中 | 精神統一、落ち着き、胆力、集中力 |
懐手する | 手 | 手を懐に入れる、何もしない | 傍観、無為、責任回避、寒さ |
腕をこまねく | 腕 | 腕組み、傍観する | 傍観、静観、無為、躊躇 |
手をかざす | 手 | 光・視線を遮る、掲げる | 保護、視認、敬意、遮蔽 |
手庇 | 手 | 手で光を遮る動作 | 遮光、遠方視認 |
揉み手をする | 手 | 両手をこすり合わせる | 懇願、謝罪、弁解、へりくだり |
差す手引く手 | 手 | 舞の手ぶり、一挙一動 | 優雅さ、細部の動き、油断のなさ |
手刀を切る | 手 | 相撲の作法、軽い謝意 | 敬意、感謝、清め、簡略な挨拶 |
指先に唾をつける | 指 | 紙をめくる、勢い込む、所有権主張 | 容易さ、準備、用心、確保 |
指折り数える | 指 | 日数を数える | 期待、待ち遠しさ、時間の経過 |
頬杖をつく | 頬・腕 | 頬を支える姿勢 | 思考、退屈、疲労、憂鬱 |
身をかわす (み を かわす)
何かにぶつかりそうになった時に、身体の向きをさっと変えて避けることを指します。この言葉は、単に物理的な回避に留まらず、物事の真正面から対処せず、うまく回避する、あるいは責任や困難から逃れる態度を表す比喩的な意味合いも持ちます。素早さや巧みさが含まれることが特徴です。例えば、議論の場で核心を突く質問に対して、直接的な回答を避け、話題をそらすような場合にも用いられます。
「かわす」は「交わす」とも通じ、本来は互いに行き交う意味合いも持ちますが、この文脈では「避ける」「いなす」の意が強くなります。
物理的な危険回避から、社会的な対人関係における衝突回避へと意味が拡張された点は、和を重んじる日本ならではの言葉です。この「回避」の概念は、単なる逃避ではなく、状況を円滑に進めるための戦略的な行動としても捉えられます。直接的な対立を避ける日本のコミュニケーション文化と深く結びついており、単に「逃げる」のではなく、状況を「いなす」という、より積極的かつ戦略的な意味合いを持つ場合も少なくありません。
例文: 鋸山は案外すなおこくんとして身を躱した。主人が極端によけて降りるが……(幸田文「流れる」)
身悶えする (みもだえ する)
苦しみやいらだち、悲しみなどの強い感情のために、体をよじらせたり、もがいたりして動かす様子を表します。精神的な苦痛が身体的な動きとして現れる状態であり、言葉にならない苦しみを全身で表現する際に用いられます。
「悶える」は苦しんで体がもだえることを指し、「身」を伴うことで、その苦痛が全身に及んでいることを強調します。感情を内に秘める傾向がある日本文化において「身悶え」は、抑えきれないほどの激しい感情を表す稀有な大和言葉といえます。この表現は、内面の激しい感情が外に溢れ出る、もはや隠しきれない状態を強調します。
例文: この悲しみが深くて美しい母蛇を、いつか、食い殺してしまうのではなかろうかと、なぜだか、なぜだか、そんな気がした。私はお母さまの軟らかなきゃしゃなお肩に手を置いて、理由のわからない身悶えをした。(太宰治「斜陽」)
身を斜によける (みをはすによける)
物理的に体を斜めに傾けて何かを避ける動作。また、比喩的には、物事に正面から向き合わず、皮肉ったり、からかったりするような斜に構えた態度で臨むことを指します。この表現は、剣道における刀の構えが語源とされます。
元々は剣道で刀を斜めに構え、相手に隙を見せない「身構える」意味合いがありました。しかし、時代と共に「物事に正対しない」「ひねくれた態度」というネガティブな意味も併せ持つようになりました。
「斜に構える」という表現は、元の武道における積極的・防御的な意味から、「ひねくれた」「皮肉な」という否定的な意味で使われることに対して否定的な見方をする方が少なくありません。しかしながら、この変遷は「誤用」ではなく、社会的な解釈の「進化」として捉えるべきであり、言葉の学習においてはその歴史的背景と現代的用法双方を理解することが不可欠です。
例文: 彼は何事にも身を斜によけるような態度で、周囲から理解されにくい。
体が戦慄く (からだ が わななく)
恐怖、興奮、寒さ、怒り、悲しみなどの強い感情や生理的反応によって、体が震えたり、小刻みに揺れたりする様子。制御できない身体の動きを指します。
「わななく」は古くから用いられる表現で、感情が身体に直接的に作用する様子を表します。感情を露わにしないことが美徳とされる日本文化において、「わななく」という表現は、その感情がいかに強いものであるかを強調します。感情の激しさを身体の動きで表現する典型例であり、まさに感情が身体に直接的に作用し、その制御が困難になる状態です。感情の強さを表現する際に、身体的な反応を用いる日本語の傾向を裏付けています。
枕草子の用例に「髪なども我がにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて…」とあるように、身体だけでなく、髪のような身体の一部が乱れる様子にも使われることが示唆されており、感情の波及効果の広がりを表します。髪もまた、その人の内面の状態を映し出すかのように乱れるという身体的・非身体的な「乱れ」の連鎖は、感情の波及範囲の広さと、それを身体表現で捉える日本語の繊細さを示します。
例文: 恐怖のあまり、体がわななくのを止められなかった。
身を沈める (み を しずめる)
「身を沈める」は複数の意味を持ちます。
- 水中に身を投げること、すなわち身投げや入水を指す
- 落ちぶれた境遇になること。遊女となる女性に対して用いられた
- 失意の境遇に身を置くこと、身を落とすこと
- 姿勢を低くすること、例えば相手に敬意を示すために体をかがめる動作など
「沈める」は物理的に沈むことですが「身」を伴うことで、その人の人生や運命が下向きになる、あるいは自らその道を選ぶという重い意味合いを感じさせます。特に遊女になる意味合いは、封建社会における女性の悲劇的な運命を象徴する言葉として用いられてきました。この多義性は、言葉が単なる物理現象の描写に留まらず、その時代の社会構造や個人の運命、倫理観を深く反映していることを示します。
一方で、疲れ切ったときにベッドに身を沈めるなど、軽妙に使われることが増えているのも時代の流れなのでしょう。
例文: とたんに、ぎゃあと頭のうえで猫の戦闘合図があった。猫の嫌いな梨花は本能的に爪を感じて身をしずめた。(幸田文「流れる」)
こごまる (こごまる)
寒さや恐怖、あるいは恥ずかしさなどで、体を丸めて小さくする様子。また、低い姿勢をとってかがまる様子も指し、萎縮したり、ちぢこまったりする状態を表します。寒い場所で身を縮める物理的な動作から、精神的な圧力によって体が硬直する様子まで、幅広く用いられる大和言葉です。
「屈まる」と書き、寒さで身を縮める生理的反応から、精神的な萎縮や肩身の狭さを表現する比喩へと意味が広がっていきました。この表現は、物理的な寒さだけでなく、精神的な圧力(恐怖、恥ずかしさ)によっても体が縮こまることを裏付けています。
例文: 寒風の中、彼は体をこごませてたき火にあたった。
腰を浮かす (こし を うかす)
「腰を浮かす」には二つの主要な意味があります。
- 座っている状態から立ち上がろうとして、腰を少し上げる、中腰になる動作
- その場に長居したくない、退去したいという気持ちから、そわそわして落ち着かない様子
物理的な動作が、そのまま心理的な状態(準備、不安、退屈など)を表現する典型例です。座敷での振る舞いが重視された時代背景において、腰を浮かす動作は、次の行動への移行、あるいはその場からの離脱意図を示す重要な非言語的なサインでした。
物理的な「立ち上がり準備」と、心理的な「退屈・離脱願望」という二つの意味を持ち、特に後者の意味は、日本の社会における「場の空気」を読む文化と密接に関連し、直接的に「帰りたい」と言わずとも、身体の動きでその意図を伝えるという、間接的なコミュニケーションスタイルといえます。
例文: 「だ、旦那様、手前は供待ちの方で結構でございますから」と腰を浮かすが、七郎兵衛はぐいと引戻して、「まあ、いいってことよ。せっかくの御馳走だ。真砂屋では見ることもない品ばかり、ゆっくり味わって頂だいしようぜ」(有吉佐和子「真砂屋お峰」)
及び腰 (およびごし)
何かに取り組む際に、自信がなく、おどおどしている様子。また、曖昧な態度をとるさまも指します。物理的に腰が引けているような、積極性に欠ける姿勢を比喩的に表す言葉です。
歴史的には、物理的に腰が引けて前に踏み出せない姿勢から、精神的な臆病さや不確実な態度を意味するようになりました。積極性や決断力が求められる場面で、その欠如を指摘する際に用いられます。
「腰が引ける」と類似するが、「及び腰」はより「中途半端な姿勢」や「曖昧な態度」に焦点を当てる点でニュアンスが異なります。単に臆病であるだけでなく、決断を避ける、あるいは責任を負いたくないという消極的な態度さえ垣間見えます。
日本のビジネスシーンや政治において、明確な態度を避ける際に用いられることが多く、その背後には「波風を立てたくない」という日本人らしい心理が隠されていることもあります。
例文: 代助は無論出したものを引き込める訳に行かなかった。己を得ず(やむをえず)、少し及び腰になって、掌を三千代の胸の側まで持って行った。(夏目漱石「それから」)
膝を突き合わせる (ひざ を つきあわせる)
互いの膝が触れ合うほど近くに向き合って座ること。この物理的な距離の近さが転じて、腹蔵なく、じっくりと話し合うこと、すなわち隠し事をせず、本音で議論する様子を表します。
物理的な距離の近さが、心理的な距離の近さや親密さ、信頼関係を象徴する。特に、和室における畳の上で膝を突き合わせる姿勢は、形式ばらない、率直な対話の場を意味しました。
物理的な近さが心理的な親密さや率直さを象徴する表現であり「膝詰め」ともいいます。隣り合って座るのではなく、互いの膝が触れるほどの距離で向き合うことで、形式的な障壁を取り払い、本音で語り合う場が生まれるという、日本文化における対話の理想的な形態です。信頼関係の構築においては、言葉だけでなく、身体的な距離感も重要であることを意味します。
例文: そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思います。心から遠退いていた故郷と、然も思いもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝をつきあわせた感じでした。(梶井基次郎「橡の花」)
膝を叩く (ひざ を たたく)
急に良い考えを思いついたり、他人の意見に深く感心したりした時に、手のひらで自分の膝をポンとたたく動作。感嘆や納得の気持ちを表します。「膝を打つ」と表現されることもあります。
身体的な反応が、内面的な感情(ひらめき、共感、納得)を表現する非言語的コミュニケーションの一種である。特に、座った状態での膝をたたく動作は、思考の進展や感情の昂ぶりを外部に示す、日本特有の身振りです。
「膝を打つ」と「膝を叩く」は同じように使われますが、「膝を打つ」は瞬間的なひらめきや感嘆、「膝を叩く」はより強い衝撃や持続感を想起させます。
例文: 何故ここんとこにそれを選ぶんだっていうから、南は武家屋敷だから練塀があって、まず火が来るのは北からの場合が多いとみて、鳶の足場は北側に作っておきたいんだと言ったら膝を叩いて、棟梁こんどは私の負けだ、と言った。あんなに楽しかった仕事はなかったぜ。それで値は滅法安くてなあ。(有吉佐和子「真砂屋お峰」)
肩で息をする (かた で いき を する)
激しい運動や苦しさのため、肩を大きく上下させながら荒く呼吸する様子。非常に疲れている、あるいは呼吸が困難な状態を表します。
呼吸が苦しい時に、胸郭だけでなく肩まで動員して息をしようとする生理的反応をそのまま表現した言葉です。単なる呼吸の描写にとどまらず、その人の置かれた過酷な状況や努力の度合いを暗示する。単に「疲れている」と言うよりも、その疲労の度合いや苦しさがより具体的に伝わる力強い慣用句です。
例文: 「ようもこのせわしない物日にうかうか出て行けたもんや。あの糞おやじめ」蝶子は肩で息をし、客を送り迎える掛け声もむやみに癇高かったが……(織田作之助「続 夫婦善哉」)
肩をすくめる (かた を すくめる)
「肩をすくめる」は以下のような2つの意味があります。
- 両肩を上げ、身を縮こまらせて恥ずかしい思いをした時や困惑などの気持ちを表す場合
- どうしようもないという気持ちを表すために、両方の手のひらを上に向けて両肩を上げる場合
寒さで身を縮める動作から転じ、精神的な萎縮や困惑、諦めの感情を表すようになった経緯があります。日本の文脈では主に恥ずかしさや困惑、諦めを表すのに対し、欧米では「知らない」「どうでもいい」といった無関心や無力感を表現するジェスチャーとしても使われています。同じ身体動作に対して、国や文化によって解釈が異なるケースです。
例文: 「行っといやしたの。お声をかけとくれやしたらよろしいのに……」と千重子は肩をすくめた。(川端康成「古都」)
肩をつぼめる (かた を つぼめる)
肩を落とすように縮める様子。寒さや肩身の狭さ、しょんぼりと元気がない様子、あるいは恐縮している状態を表し、「肩をすぼめる」とも書きます。
「つぼめる」は「窄める」と書き、狭くする、小さくするという意味です。寒さから身を守るために肩を縮める物理的な動作から、精神的な萎縮や元気のなさを表現するようになりました。肩身の狭い状況で、自分を小さく見せようとする心理が反映されています。
「肩をすくめる」との違い
- 肩をつぼめる:「つぼめる」は寒さや肩身の狭さによる「元気のなさ」「しょんぼりした様子」、外観に重点が置かれる
- 肩をすくめる:「すくめる」は恥ずかしさや困惑、諦めといった感情露出の割合が大きい。
この微妙なニュアンスの違いこそが、日本語の表現の豊かさ・多様性といえるでしょう。
例文: 四十女が共同湯を出て二人の方を見た。踊り子はきゅっと肩をつぼめながら、叱られるから帰ります、という風に笑って見せて……(川端康成「伊豆の踊子」)
肩をはる (かた を はる)
意地を張る、または気負って堅苦しい態度、あるいは威張ったり、強がったりして自信や威厳を示そうとする態度を表します。
物理的に肩を張って胸を張る姿勢から、精神的な強気や頑固さ、あるいは見栄を張る態度を意味するようになりました。集団の中での自己主張や、他者への威圧感を示す際に用いられます。「肩をはる」は、以下に紹介する「肩肘を張る」や「肩で風を切る」などと同様、時にネガティブな「強がり」や「見栄」を含みます。
例文: 「姉え、何でも構わん、四五人木遣で曳いて来い」と肩を張って大きに力む。(泉鏡花「歌行燈」)
肩肘を張る (かたひじ を はる)
気負った堅苦しい、または威張った態度をとる様子。肩や肘をことさらに高く張り、いかめしく身構える意や強気で構える様子、必要以上に構える様子を指します。
物理的に肩や肘を張ることで、相手に隙を見せない、あるいは威圧感を与える姿勢から、精神的な緊張や強気を表すようになった。特に、不慣れな状況や、自分を大きく見せたい場面で多用されます。
似た表現である「肩をはる」との違いは、より「堅苦しさ」「気負い」「不自然なほどの威張り」というニュアンスが強調される点です。これは、身体の複数の部位(肩と肘)を用いることで、その態度がより顕著であることを示します。
例文: 新しい職場では、彼は肩肘を張って仕事に取り組んでいた。
肩をそびやかす (かた を そびやかす)
肩を高く立てて、威勢を示す様子。大威張りで歩いたり、高ぶった態度をとる様子も指し、自信や権勢を誇示する際に用いられます。成功を収めた人物が、得意げに周囲を見下すように振る舞う姿を表現します。
「そびやかす」は「聳やかす」と書き、高くそびえ立たせるという意味です。物理的に肩を高くすることで、自己の存在感や威厳を誇示する姿勢を表します。
「肩で風を切る」と似ていますが、「そびやかす」はより「肩を高くする」という物理的な動作に焦点を当て、その結果としての「威勢の良さ」や「高ぶり」を表現しています。
例文: 彼は昇進してから、肩をそびやかして歩くようになった。
肩で風を切る (かた で かぜ を きる)
「肩をそびやかす」からさらに尊大になり、大威張りで歩く様子。威勢がよく、得意げに振る舞っているさまを指し、自信や権勢を誇示し、周囲を顧みないような態度を表します。
歩く際に肩を大きく動かすことで、まるで風を切り裂くかのような勢いがあることを表現した大和言葉です。その勢いが、その人の自信や威勢の良さを象徴する。江戸時代から使われる古い表現で、当時の町人の気風や粋な振る舞いを表す際にも用いられました。「風を切る」という表現は、その歩行の勢いや自信を強調し、周囲を圧倒するような存在感を示しています。
例文: 人相の悪い中年者が、世を憚らず肩で風を切り、杖を振り、歌をうたい、通行の女子を罵りつつ歩くのは、銀座の外他の町には見られぬ光景であろう。(永井荷風「濹東綺譚」)
丹田に力を入れる (たんでん に ちから を いれる)
臍(へそ)の下あたりにある「丹田」と呼ばれる部位に意識を集中させ、力を込めること。精神を統一し、落ち着きや胆力を養う、あるいは身体のバランスを整える意味で用いられます。
漢方医学や武道、禅など東洋の思想において、丹田は生命エネルギーの中心、気の源とされ、ここに力を入れることで心身の安定や集中力が高まると信じられてきました。単なる身体動作ではなく、精神修養の一環としても重視されています。
身体の一部(丹田)に意識を集中させることで、精神的な安定や集中力を得るという東洋思想の概念を反映しています。これは、心と身体が不可分であるという思想が、言語表現に深く根ざしていることを示しています。
例文: 手術をやっても、ピンピン生きて、「水や、水や、水くれ」とわめき散らした。水を飲ましてはいけぬと注意されていたので、蝶子は丹田に力を入れて、柳吉のうめき声を聞いた。(織田作之助「夫婦善哉」)
懐手する (ふところで する)
この表現は二つの意味を持ちます。
- 和服を着たとき、手を袖から出さずに懐に入れていること。冬の季語
- 自分では何もしないで、他人に任せたり、傍観したりすること。拱手傍観
物理的に手を懐に収めることで、寒さをしのぐ、あるいは行動を起こさない姿勢を表現します。後者の意味は、手を出す必要がない、あるいは出すべきではないという消極的な態度や、責任を回避する様子を暗示し、物理的な動作がそのまま心理的な「無為」や「傍観」を表現しています。
手を懐に隠すという動作が、外部への非関与や責任回避の象徴となる点は、日本の非言語的コミュニケーションの奥深さを示し、直接的な介入を避け、傍観を選ぶという行動様式が、身体表現として言語化されています。
例文: 寒さはだんだん私の身体へ匍い込んできた。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、懐手をしてもなんの役にも立たない位になって来た。(梶井基次郎「冬の蝿」)
腕をこまねく (うで を こまねく)
腕組みをする意から、自分は何もしないで他人のすることを見ていること、すなわち傍観することを指し、「手をこまねく」ともいいます。
腕組みという動作は、思考中、あるいは傍観中の姿勢として広く認識されているため、行動を起こさず静観する態度を強調する際に用いられます。単に物理的な腕組みだけでなく、その背後にある心理的な傍観や無為も表現しています。
例文: 半年たたぬ間に、焼け跡には江戸が新しく生れ変って木の香が町中に漂い出した。まったく、と甚三郎は腕をこまねいて考え込んだ。(有吉佐和子「真砂屋お峰」)
手をかざす (て を かざす)
「手をかざす」は以下の意味を持ちます。
- 物の上などに手を覆うように差し出す
- 光や視線を遮るために、顔の前に手や物などをさしかける動作
- 手に持って掲げること、高く掲げる動作
- 日や熱、風に当てるようにして上に上げる意味
「翳す」と書き、元々は光や視線を遮る動作を指します。転じて、何かを掲げたり、特定の方向へ手を向けたりする動作全般を指すようになりました。日差しを避ける、遠くを見る、あるいは敬意を示すなど、様々な文脈で用いられます。この表現は、物理的な「遮る」「掲げる」動作から、その背後にある意図(保護、視認、敬意)を表現しています。
特に、遠方を見る際に小手をかざす動作は、日本の伝統的な身体表現として定着するほどです。人間の基本的な生理的反応に基づいていますが、それが特定の慣用句として定着している点は、その動作が持つ象徴性や、日本の非言語的コミュニケーションの重要性を示しています。
例文: 黒い羽織のひとは薄い細い手のひらを手焙りにかざしていた。(幸田文「流れる」)
手庇 (てひさし)
手のひらを広げて目の上にかざし、光を遮る動作。遠方を見たり、まぶしさを避けたりする際に用いられます。「手をかざす」の具体的な一形態。
「庇」は建物のひさしのように、日差しや雨を遮るもの。手をひさしのようにして光を遮る動作を指します。特に、屋外での活動や、遠くを見つめる情景描写で多用されます。身体の部位が特定の道具の機能になぞらえられ、その動作が言語化されるパターンです。
例文: 老婢は空の陽を手庇で防ぎながら、仰いで蔦の門扉に目をやっていた。(岡本かの子「蔦の門」)
揉み手をする (もみで を する)
両手のひらをこすり合わせる動作。何かを頼み込んだり、謝罪したり、弁解したりする際に、へりくだった気持ちや必死さを表します。
日本の伝統的な謝罪やお願いの際の身振りであり、言葉だけでは伝えきれない切実さや謙虚さを表現します。日本の社会において、相手への敬意やへりくだりの態度を身体で示すことの重要性を示唆し、日本の社会における上下関係や謝罪の場面で頻繁に見られます。非言語的コミュニケーションの文化的な側面に深く根ざした慣用句です。
例文: 「へへへへ、いや、どうもな」と亭主は前へ出て、揉み手をしながら、「しかし、このお天気続きで、先ず結構でござりやすよ」と……(泉鏡花「歌行燈」)
差す手引く手 (さすて ひくて)
「差す手引く手」は、以下の二つの意味を持ちます。
- 舞踊において手を差し出したり引き込んだりする動作、すなわち舞の手ぶり
- 一挙一動、何かにつけてのあらゆる動作や機会を指す
舞踊の優雅な手の動きから転じ、あらゆる動作や行動、あるいは物事の進展における細かな動きを指すようになりました。特に、後者の意味では、油断なく注意を払う様子や、物事が次々と起こる様子を描写する際に用いられます。舞踊という芸術的な身体表現が、日常的な「一挙一動」や「あらゆる機会」を指す比喩へと拡張された例です。
日本の美意識が身体動作の細部にも宿り、その美しさや規則性がより広範な行動や状況の描写に転用されるという、言語表現の創造性を示しています。
例文: 舞いの天才を発揮して京町の名だたる白拍子となりました。さす手ひく手の妙、面白の振りの中に錆びた禅味がたうとうとて……(岡本かの子「鯉魚」)
手刀を切る (てがたな を きる)
「手刀を切る」は、以下の二つの意味を持ちます。
- 相撲において懸賞金を受け取る際、右手を手刀にして中央・右・左(または左・右・中)の順に振る作法。造化三神への敬意と感謝を表す
- 片手を立てて小さく上下させる動作で、軽い謝意や詫び、あるいは人前を通る際の挨拶などに行う
刀に見立てた手で、空間を切るような動作です。相撲の作法は神事と結びついており、神への感謝と清めの意味合いを持ちます。日常的な用法では、簡略化された挨拶や謝意の表現として用いられます。
相撲における神聖な儀礼的動作と、日常的な軽い挨拶や謝意の表現という異なる文脈で用いられるということは、伝統的な身体表現が、形を変えて現代のコミュニケーションにも息づいていることを示します。
例文: 勝ち力士は、懸賞金を受け取る際に厳かに手刀を切った。
指先に唾をつける (ゆびさき に つば を つける)
「指先に唾を付ける」は、以下の三つの意味を持ちます。
- 紙などをめくりやすくするために、指先に唾液をつける物理的な動作
- 風向きを調べる
- 「手に唾する」として、勢い込んでものごとに取りかかること。転じて、とても容易くできることの例え
- 自分の所有権をなんらかの形で示しておくこと、欲しいものに目をつけて、他人に取られないようにする比喩
物理的な行為から、比喩的な意味へと拡張された慣用句です。特に後者の意味は、競争社会における「先手を打つ」あるいは「確保する」という行動様式を、やや俗な表現で捉えて、人間の本能的な行動をユーモラスに表現しています。この多義性は、言葉が持つ表現の幅広さと、文脈によって意味が大きく変わる日本語の特性を示しています。
例文:「はい、手前も見ましたが風が強すぎるんでございますよ。指の先に唾をつけて立ってみましたが、風向きは乾でございますね」なるほど風向きは吹き流しよりもっと正確に指先の唾が冷たくなることで悟れるものかと……(有吉佐和子「真砂屋お峰」)
指折り数える (ゆびおり かぞえる)
指を一本ずつ折り曲げて数えること。特に、待ち遠しい出来事までの日数を一日一日と数えながら待つ様子を指し、期待や待ち望む気持ちが込められています。
古くから行われてきた素朴な計数方法であり、物理的な動作がそのまま時間の経過や期待の気持ちを表現します。物理的な計数動作により時間の経過を身体的に実感し、それが感情と結びつく日本語の表現の豊かさを示しています。抽象的な時間の経過や感情を、具体的な身体動作で表現する日本語の慣用句の典型例といえるでしょう。
例文: お峰が箸の止まったのは日本橋通三丁目の石屋と見合いをして以来である。七郎兵衛は見合いに限って婆やのお伴は禁じたので、どんな相手かしらないけれども、とにかく指折り数えてみればその頃からお峰は様子が変わっている(有吉佐和子「真砂屋お峰」)
頬杖をつく (ほおづえ を つく)
片手または両手で頬を支え、肘を机などにつけて座る姿勢。考え事をしている時、退屈している時、あるいは疲れている時などに見られる動作です。
物理的に頭を支える動作が、思考や倦怠、あるいは憂鬱といった内面的な状態を表現しています。日本の古典文学においては、思索にふける人物像を描写する際によく用いられます。
身体の姿勢が内面的な状態(思考、退屈、疲労)を表現するという、言葉にせず感情や状況を伝える日本語の非言語的コミュニケーションの奥深さの一例といえるでしょう。
例文: 母のしげは、いつも父の机にすわって、たばこをのんでいた。左腕で頬杖ついて、背をかがめているので、読み書きでもしているようだが、机の上にはなんにもない。(川端康成「古都」)