なぜ日本人ファーストなのか?政党の思惑はわかりませんが、日本人を大切にしてこそ他国の人との共生もできるのはではないでしょうか?
なぜなら、日本人は和をもって尊しとする世界でも稀な国民だからです。
いつの間にか帰化人だらけの政治家たちの時間をかけた誘導によって日本の植民地化が進んでいるとのことですが、日本人なくして日本は成り立ちません。他国で日本製品を真似しても同レベルの商品を作れないことと同じです。この複雑な地形と気象条件で育まれた鋭敏な感性、真摯な求道精神がもたらす高い技術、自然を理解するからこその素材を活かした繊細な料理、他国の人やAIが真似しようとしても無理でしょう。そこには、利益より、よりよい物を届けたいという、おもてなしの心が宿っているから。
そのおもてなしの心を彩る美しい和の立ち居振る舞い、大和言葉と共にご紹介します。
- 和の身のこなし立ち姿編:静と動の調和
- 和の身のこなし立ち姿編一覧表
- 和の身のこなし立ち姿編:詳細解説
- 佇む (Tatamuzu)
- 立ちすくむ (Tachisukumu)
- 爪立つ(つまだつ)(Tsumadatsu)
- 打傾く(うちかたぶく)(Uchikatamuku)
- 摺り足 (Suriashi)
- 刻み足 (Kizamiashi)
- いちあし (Ichiashi)
- 馳せつける(はせつける)(Hasetsukeru)
- 押っ取り刀(おっとりがたな)(Ottorigatana)
- よろめく (Yoromeku)
- よぼよぼ歩く (Yoboyobo Aruku)
- 抜き足差し足 (Nukiashi Sashiashi)
- 足音を盗む(あしおとをぬすむ)(Ashioto o Nusumu)
- 踵を返す(きびすをかえす)(Kibisu o Kaesu)
- 馳せ去る(はせさる)(Hasesaru)
- 退る(しざる)(Shizaru)
- 【まとめ】身体動作の込められた内面を解き明かす日本語と日本人の感性
和の身のこなし立ち姿編:静と動の調和
日本の伝統的な立ち姿は、特に着物を着用する際に顕著ですが、単なる姿勢の美しさだけでなく、実用的な機能性も兼ね備えています。基本的な原則として、姿勢を正し、片足に重心をかけるのではなく両足でしっかりと地面を踏みます。男性の場合、肩幅程度に足を開き、つま先をハの字型に外側に向けるのが一般的です。一方、女性は両膝をつけ、やや内股で立ちます1。
立ち姿においては、落ち着いた印象を与えるために、首をまっすぐ伸ばし、目線はできるだけ遠くへ向けることが重要です。歩く際も同様に姿勢をまっすぐに保ち、特に女性は新郎の背中の紋あたりに目線を置いて歩くことで、着物の裾が乱れないよう、前に出した足のかかとに次の足のつま先を添える程度の歩幅でゆっくりと歩きます。
これらの身体動作は、着物の着崩れを防ぐという実用的な側面と、優雅で品位ある立ち居振る舞いを追求するという美意識が一体となっていることを示しています。美的な理想が、着物の着用という具体的な制約の中で、機能的な動きの原則によって支えられているのです。
和の身のこなし立ち姿編一覧表
以下に各動作の特徴を要約した一覧表を提示します:
動作 | 読み | 定義・特徴 | 文化的背景・心理的要素 |
---|---|---|---|
佇む | たたむず | 意識的な静止。周囲との情緒的融合を伴う瞑想的状態 | 内省と環境調和を重視。美的体験と存在の深みを表現 |
立ちすくむ | たちすくむ | 強い感情(驚き/畏敬)による不随意な硬直 | 心身相関の強さを示す。感情が身体を支配する瞬間を象徴 |
爪立つ | つまだつ | つま先立ちによる精密な重心制御。隠密性・即応性向上 | 武道や忍術に由来。微細な身体操作で目的達成を重視 |
打傾く | うちかたぶく | 内面状態(疲労/思案)が引き起こす自然な微細な傾き | 無意識の身体表出に敏感。脆弱性や熟慮のサインとして解釈 |
摺り足 | すりあし | 足裏を滑らせる高度に制御された歩行。上半身の安定性維持 | 伝統芸能・武道の基礎。意図的な洗練と機能美の融合 |
刻み足 | きざみあし | 細かい歩幅で環境に適応する歩行。間合いの微調整に有効 | 状況認識と精密動作を奨励。広範な動きより制御を優先 |
いちあし | ひとあし | 行動の最小単位としての「一歩」。比喩的に進捗や距離の近さも表現 | 漸進的プロセスを重視。些細な進展にも価値を認める |
馳せつける | はせつける | 緊急時の駆けつけ(馬の使用を連想)。義務感に駆られた迅速な行動 | 責任履行と即応性を称賛。共同体への献身を体現 |
押っ取り刀 | おっとりがたな | 刀を帯びる暇もない緊急対応。形式より即効性を優先 | 危機管理における実用主義。儀礼的制約の一時的放棄 |
よろめく | よろめく | 身体的/精神的不安定によるふらつき。酩酊・動揺・健康悪化の指標 | 内面の乱れが身体に直結。脆弱性の可視化を許容 |
よぼよぼ歩く | よぼよぼあるく | 老衰・病弱による不安定な歩行。小刻みですり足気味 | 自然な衰えへの共感を喚起。儚さの美学と関連 |
抜き足差し足 | ぬきあしさしあし | 忍者の歩法。足音抑制と障害物回避のための高度な環境適応 | 隠密性と身体制御の極致。感知回避という戦術的価値 |
足音を盗む | あしおとをぬすむ | 「抜き足差し足」の結果面に焦点。聴覚的不可視性の達成 | 存在感の消去技術。環境への影響最小化を追求 |
踵を返す | きびすをかえす | かかとを軸にした急速な方向転換。方針転換の決断を伴う | 明確な意志表明を重視。躊躇しない決断力に価値 |
馳せ去る | はせさる | 緊急離脱。馬を用いた速やかな退去(「馳せつける」の逆概念) | 迅速な撤退の美学。劇的展開への文化的嗜好 |
退る | しざる | 前向きのまま敬意を示す後退。神仏や目上者への礼儀作法 | 謙遜の身体表現。物理的後退でも精神的敬意を保持 |
和の身のこなし立ち姿編:詳細解説

佇む (Tatamuzu)
「佇む」とは、ある場所にしばらく留まり、その場の雰囲気と一体となって融和する、情緒的な静止状態を指します。これは単に立ち止まるという物理的な行為とは異なり、内面的な感情や周囲の情景との調和を伴う、継続的なさまを表現します。この言葉は人間にのみ用いられ、対象がその場所に意識的に、しばしば思索的に存在している状態です。
「立つ」が単に身体が直立しているという中立的な物理的状態を表すのに対し、「佇む」には感情的な深みと文脈が加わります。また、
「立ち尽くす」が驚きや呆然とした状態によって身動きが取れなくなる不随意な不動を意味するのに対し、「佇む」はより意識的で、しばしば瞑想的な静けさを伴う存在を意味します。
この動作は、物理的な静止を超え、環境との感情的な共鳴や、内省的な存在のあり方をを示しています。個人が単に空間を占めるだけでなく、感情的、美的にその瞬間に統合されている状態を重視する文化的な価値観が反映されているのです。
立ちすくむ (Tachisukumu)
「立ちすくむ」とは、驚き、感動、呆然といった強い感情に心を奪われ、その場に身動きできずに立ち止まる状態を指します。これは、我を忘れた状態での一時的な身体の硬直を伴うものであり、意図的な静止ではなく、心理的な衝撃によって引き起こされる不随意な不動を意味します。
この状態は、「体が動かなくなる」あるいは「体が凍りつく」といった表現で形容されることが多く、強い感情が身体の自由を一時的に奪う様子を示します。前述の「佇む」が意識的で情緒的な静止であるのに対し、「立ちすくむ」は心理的な衝撃による不随意な身体の麻痺が決定的な違いです。この身体表現は、日本文化における心と身体の深いつながりを鮮やかに示しています。極度の心理状態(驚き、畏敬の念など)が、即座に、そして不随意に身体の麻痺として現れるという認識は、圧倒的な感情が一時的に身体的な主体性を凌駕しうることを示しており、身体が内面的な体験を直接的に映し出すキャンバスとして捉えられていることを強調しています。
爪立つ(つまだつ)(Tsumadatsu)
「爪立つ」とは、つま先で立ち、身体を高くする動作を指します。これは単に身長を伸ばすだけでなく、特定の目的のために身体の重心とバランスを精密に制御する意図的な動作です。
例えば、武道における「蹲踞(そんきょ)」の姿勢では、つま先立ちで深く腰を落とすことで、安定性と即応性を保ちます 5。また、忍者が行う「忍びの歩法」では、音を立てず、かつ怪我を避けるために、つま先から地面に足を置くように注意深く歩きます。
これらの例から、「爪立つ」は、単なる物理的な高さの獲得ではなく、知覚の向上、隠密な移動、あるいは形式的な姿勢の維持といった特定の目的のために、身体の重心と平衡を緻密に操作する行為であることが理解できます。この身体表現は、身体制御における高度な精密さと目的意識を体現しています。それは偶発的な動きではなく、知覚の強化、隠密性、あるいは形式的な姿勢といった特定の成果のために、重心とバランスを意図的に操作する行為です。このことは、一見単純な動作の中にも、細部にわたる身体制御を重視する文化的な傾向が表れていることを示唆しています。
打傾く(うちかたぶく)(Uchikatamuku)
「打傾く」とは、身体がわずかに傾斜する様子を指します。「打-」という接頭語は、しばしば突発的、軽微、あるいは自然発生的な動作です。これは、意図的な礼の動作、例えば上半身を気持ち傾ける formal bowとは異なり、疲労、思案、あるいは軽いバランスの崩れなど、内面的な状態や偶発的な状況によって生じる、自然で微細な身体の傾きを意味します。
この動きは、例えば物思いにふけっている時や、わずかな倦怠感が現れている時、あるいは一時的に平衡感覚が揺らいだ時などに見られます。このような身体の傾きは、個人の内面的な状態を無意識のうちに表す微妙な手がかりとなります。
個人の内面状態を無意識のうちに表す、微妙な身体的合図の存在を示しています。形式的で意図的な動きとは異なり、このわずかな傾きは、脆弱性、熟考、あるいは一時的な平静の喪失を示唆し、内面的な経験の指標として微細な身体表現を読み取る文化的な感受性を明らかにしています。
摺り足 (Suriashi)
「摺り足」とは、足の裏を地面に擦るようにして静かに移動する歩法を指します。実際には、地面から紙一枚分ほど足を浮かせながら移動するのが理想とされます。この歩法は、日本の武道(剣道、相撲など)や伝統芸能(能楽など)において重要な基礎動作です。
その身体運用においては、重心を低く保ち、股関節から太ももを前に押し出すようにして足を移動させることで、上半身の安定性を維持します。股関節、膝、腰椎、腹筋の強化と柔軟性の向上に寄与し、舞踊においては姿勢の崩れを防ぎ、武道においては隙のない動きを生み出し、相手の攻撃に耐えるための基本的な動きとなります。
「摺り足」という言葉は、パーキンソン病などの歩行障害に見られる「すり足歩行」と同じ表記がなされることがありますが、その本質は全く異なります。病的な「すり足」が歩幅の狭さや腕の振りの悪さを伴う症状であるのに対し、伝統的な「摺り足」は、高度に訓練された意図的な身体制御技術であり、その洗練された動きは美しさと機能性を兼ね備えています。
「摺り足」が、文脈と意図によって全く異なる現象を指し示すことは、日本文化が身体表現における意図性と熟練をいかに重視しているかを示しています。
刻み足 (Kizamiashi)
「刻み足」とは、歩幅を細かく刻むようにして歩く動作を指します。これは「小刻み歩行」とも呼ばれ、歩幅が狭くなる歩行スタイルです。腕の振りが小さくなることも伴うことがあり、慎重さや抑制された動きを示唆します。
この動きは、注意深く状況を把握しながら進む様子を表し、武道における相手との間合いの微調整や、狭い場所での移動など、精密な足運びが求められる場面で用いられます。速度よりも制御と観察が優先される状況で活用されます。この身体表現は、身体の動きが動的または不確実な環境の要求に合わせて正確に調整される、制御された応答性を示し、広範で無思慮な歩行よりも、注意と精度が優先される状況認識と適応的な動きに文化的な価値が置かれていることを強調しています。
いちあし (Ichiashi)
「いちあし」には、読み方によって「いっそく」と「ひとあし」の二通りがあり、それぞれ異なる意味を持ちます。身体の動きに関連するのは主に「ひとあし」です。「ひとあし」とは、歩行における「一歩」や「ひとまたぎ」を指す言葉です。例えば、「一足踏み出す」のように、具体的な歩行の単位として用いられます 14。また、比喩的には「わずかな距離」や「わずかな時間」をも意味し、「駅まではもう一足だ」や「一足先に帰宅する」といった表現で使われます 14。
この言葉は、行動の最小単位、あるいは目標への近接を示すものとして、その一歩が持つ意味合いや重要性を強調します。この身体表現は、日本文化における漸進的な行動の重要性を強調します。わずかな進歩や時間の最小単位にまで特定の言葉を与えることで、たとえ最も小さな一歩であっても、それが持つ価値と重要性が認識されていることを示しています。これは、細部への綿密な注意と、結果だけでなく過程を構成する個々の行動を重視する文化的な傾向を反映しています。
馳せつける(はせつける)(Hasetsukeru)
「馳せつける」とは、走って、あるいは馬を走らせて大急ぎで目的地に到着する動作をです。緊急性や切迫した状況下での迅速な行動を意味し、義務感や責任感から急いで駆けつける様子を表現する際に用いられます。
「馬を走らせて」という表現が使われることからも、かつて馬による迅速な移動が一般的であった時代に起源を持ちます。この身体表現は、緊急事態への迅速な対応と決断力のある行動に対する文化的な期待を体現しています。迅速な到着が強調されることは、特に必要とされる時や危機的状況において、遅滞なく即座に対応し、義務を果たすことを重視する価値観を反映しています。
押っ取り刀(おっとりがたな)(Ottorigatana)
「押っ取り刀」とは、刀を腰に差す暇もないほど慌てて、手で掴んだまま飛び出す様子を指します。この表現は、非常に急いでいる状態や、緊急事態に即座に対応する切迫感を比喩的に表す際に用いられます。
その語源は、侍や武士が刀を携帯していた時代に遡ります。「押っ-」という接頭語は、「押す」の連用形「押し」が変化したもので、動詞の前に付いて動作に勢いのあるさまや、無理に、派手に、激しくといった意味を強調する働きがあります。のんびりしているという意味の「おっとり」とは関係がありません。
この身体表現は、危機的状況において即座の行動と緊急性が形式や適切な手順よりも優先されるという文化的な理解を力強く伝えます。これは、迅速な介入のために、従来の礼儀作法や準備の規則が一時的に停止されるという、緊急事態に対する実用的な対応を浮き彫りにします。
よろめく (Yoromeku)
「よろめく」とは、身体のバランスを崩し、ふらつく動作を指します。これは物理的な不安定さを示すだけでなく、精神的な動揺や迷い、あるいは健康状態の悪化を示す比喩としても用いられます。めまい、倦怠感、あるいは酩酊状態など、様々な身体的要因によって引き起こされることがあります。
比喩的には、決断力の欠如、道徳的な不確かさ、あるいは内面的な混乱といった心理的な不安定さを表すこともあります。この動きは、身体的あるいは精神的な脆弱な状態を示唆することが多く、内面の不安定さが外的な動きに現れる様を表現します。
身体が個人の内面状態を映し出す鏡であることを示し、よろめく・ふらつくという物理的な行為が動作の失敗だけではなく、心理的または感情的な不安定さの指標として解釈される文化的な傾向を強調しています。
よぼよぼ歩く (Yoboyobo Aruku)
「よぼよぼ歩く」とは、加齢や疲労、病気などにより、足元がおぼつかず、弱々しく、ふらつきながら歩く様子を指します。「よぼよぼ」は、そのような歩き方を示す擬態語です。
この歩き方は、体力や活気の衰えを視覚的に表現し、老齢や身体的な困難を伴う歩行の特性を示します。しばしば小刻みなすり足やバランスの悪さを伴い、全体的な活気の欠如が見られます。
この動きは、身体的な衰弱、虚弱さ、脆弱性を直接的に示す視覚的な指標となります。それは、加齢という自然な過程や身体の衰えを観察する際に、共感や理解を呼び起こすことがあり、特定の歩き方が、時間の経過と身体の自然な衰えの視覚的な記号となり、共感から人生の儚さの認識に至るまで、幅広い感想を抱かせます。
抜き足差し足 (Nukiashi Sashiashi)
「抜き足差し足」とは、足音を立てないよう、片足ずつ慎重に持ち上げ、そっと地面に下ろして進む歩法を指します。この技術は、特に忍者の「忍びの歩法」として知られ、暗闇や障害物のある場所で音を立てず、かつ怪我を避けるための高度な身体制御と環境認識を伴います。
具体的な技術としては、つま先から地面に足を置き、わずかに上から下ろすことで、音を最小限に抑え、怪我を防ぎます。その目的は、気づかれずに移動すること、障害物を避けること、そして秘密裏の行動中に自己を傷つけないことです。
この身体表現は、隠密行動と環境への適応における身体制御の極致を表し、単なる静音性だけでなくバランス、正確さ、そして感覚的な認識の洗練された相互作用であり、戦術的な目的のための高度に洗練された歩行スタイルといえます。身体規律に対する細やかな関心と実用性を示しています。
足音を盗む(あしおとをぬすむ)(Ashioto o Nusumu)
「足音を盗む」とは、自分の足音を全く立てずに移動することを意味します。動詞の「盗む」は、音を積極的に抑制したり、消したりする行為を示唆します。これは比喩的に、自身の存在感を希薄にし、他者に気づかれずにそっと忍び寄る、あるいは立ち去る様子を表します。
その目的は、気づかれずにいること、目立たずに近づくこと、あるいは注意を引かずにその場を離れることです。「抜き足差し足」がその動作の「方法」を記述するのに対し、「足音を盗む」はその動作の「結果」や「意図」を表現します。
この身体表現は、聴覚的な痕跡を消すことによる不可視性の熟練を示します。それは単に音を減らすだけでなく、自身の音響的な存在を積極的に消し去り、物理的な動きをほとんど知覚できない存在に変えることです。これは、慎重さ、繊細さ、そして環境への影響を制御する能力を重視する文化的な価値観を反映しています。
踵を返す(きびすをかえす)(Kibisu o Kaesu)
「踵を返す」とは、その場で素早く向きを変え、引き返す動作を指します。文字通りには「かかとを回す」という意味です。これは単なる方向転換に留まらず、それまでの行動や方針を中止し、別の選択をするという、明確な決断や意志の転換を伴う動作を意味します。
この動きは、多くの場合、急な撤退、以前の行動方針の放棄、あるいは考えの決定的な変更を示唆します。それは、方向を転換するという決断における断固たる態度と即時性を伝えます。この身体表現は、決断的な転換の強力な象徴として機能し、物理的な方向転換の動きが、意図、戦略、またはコミットメントの確固たる変化を内包しています。これは、方針転換が必要と判断された際に、明確で曖昧さのない行動を重視し、ためらいよりも決断力を重んじる文化的な傾向を強調しています。
馳せ去る(はせさる)(Hasesaru)
「馳せ去る」とは、走って、あるいは馬を走らせて急ぎ去る動作を指します。これは、目的地への迅速な到着を意味する「馳せつける」とは対照的に、ある場所から速やかに離れる緊急性や切迫感を示します。
この動作は、逃走、急な出発、あるいは現場からの迅速な移動といった文脈で用いられます。その動きは、見る者に強い印象や残像を残すことがあり、出発における緊急性の動的な表現を提供し、到着の緊急性とは対照的です。立ち去る速度と決断力を強調し、しばしば迅速な退場や劇的な出発の背後にある重大な理由を示唆します。
退る(しざる)(Shizaru)
「退る(しざる)」とは、前を向いたまま、少しずつ後ろに下がる動作を指します。これは単なる後退ではなく、目上の人物や神仏に対し、敬意や謙譲の念を示す作法として行われます。背を向けずに退くことで、礼儀正しさと慎重さを表現しています。
この動きは、パニックによる後退ではなく、制御された意図的な後方移動であり、特に形式的な場面や、目上の人物、あるいは神聖な存在に対して行われます。方言によっては「ヒシャル」や「シッシャル」といった様々な形が存在します。
この身体表現は、制御された後退を通じて、敬意と謙遜を儀式的に表現するものです。前を向いたまま後退することで、背を向けるという無礼と見なされる行為を避け、深い敬意を示します。これは、撤退の行為においても礼儀作法と敬意を維持することを重視する文化的な価値観を浮き彫りにします。
【まとめ】身体動作の込められた内面を解き明かす日本語と日本人の感性

本報告書で詳述された「和の身のこなし」の各要素は、単なる身体的な動作に留まらず、日本文化の深い層に根ざした身体表現であることが明らかになりました。立ち姿における「佇む」の情緒的な静止から、「摺り足」に代表される武道や芸能における高度な身体制御、そして「押っ取り刀」に見られる緊急時の迅速な対応に至るまで、それぞれの動きは特定の文化的価値観や状況認識を内包しています。
「和の身のこなし」は、単に過去の遺産ではなく、現代社会においてもその精神性や機能性が再評価され続けています。これらの身体知を深く理解することは、日本文化の多層的な側面を解き明かし、非言語的コミュニケーションの重要性や、身体と精神、そして社会環境との相互作用に対する洞察を深める上で極めて有益であると言えるでしょう。