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三貴神の中でなぜスサノオだけが悪者なのか?
三貴神(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)は、イザナギの禊で生まれた神々で、アマテラスは高天原を、ツクヨミは夜を、スサノオは海を治めるよう命じられました。しかし、スサノオだけが母イザナミを慕って泣き続け、成人後も乱暴な行動を繰り返したため、悪者扱いされています。具体的には、高天原でアマテラスの田畑の畔を壊したり、水路を埋めたり、神殿に糞をまき散らしたり、オオゲツヒメを殺したりした行為が挙げられます。
これにより、イザナギの怒りを買い、高天原を追放されました。一方で、これらの行為は単なる悪行ではなく、農業や文化の起源を示す象徴的な側面もあると解釈されることもあります。さて、その実態はどうなのでしょう。地上に降りて急に善人になるという無茶な展開から、神話を読み解いていきます。
高天原で悪者だったスサノオが何故地の国では英雄となるのか?
高天原では乱暴者として追放されたスサノオでしたが、出雲(地の国)に降り立った後、ヤマタノオロチを退治して稲田姫を救い、草薙の剣を得るなどの英雄譚が語られることになります。これにより、出雲地方では、スサノオを軍神や守護神として英雄視しているところもあります。
記紀では、高天原編では悪役、出雲編では英雄として描き分けられており、これは出雲の在地神話が取り込まれた結果といえるでしょう。スサノオの性格は暴風や嵐の神としての一面を反映し、破壊と創造の両面を持つため自然そのものと捉えることができます。自然崇拝の意識の高い日本では、地の国での活躍が英雄像を強調していると言えるでしょう。
それでも根の国に行かざるを得ない理由とは?

スサノオは、亡き母イザナミのいる根の国(黄泉の国、死者の国)に行きたいと泣き続け、イザナギに「ならば根の堅州国に行け」と追放されました。これが根の国行きを余儀なくされた主な理由です。古事記では、スサノオのこの願いがイザナギの怒りを買い、高天原からの追放につながります。
根の国は出雲東部一帯、鳥取県米子市と黄泉平坂のある島根県松江市の間の島根県安来市、あるいは琉球の他界信仰である「ニライカナイ」と同じものであるとした説があります。ただし、「根」という文字自体が基本的に死者の世界を象徴し、スサノオの母慕いが物語の動機となっています。
なぜ日本全国に徐福伝説があるのか?
徐福は秦の始皇帝の命で不老不死の薬を探し、童男童女を含む3000人を連れて日本に渡来したという伝説がありまる。日本全国(20カ所以上)に伝説が残る理由は、徐福一行が各地を旅し、土木、農耕、漁業、捕鯨、医薬などの中国文明を伝えたとされるためです。熊野や佐賀、出雲など多岐にわたり、江戸時代に修験道や民間伝承で広まりました。渡来による弥生文化の移入を示唆するが、史実性は議論されており、民族の記憶や文化的交流の象徴として定着ます。
大宮の氷川神社の祭神は?

大宮の武蔵一宮氷川神社の祭神は、須佐之男命(スサノオノミコト)、稲田姫命(イナダヒメノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)。夫婦神とその子神で、家庭円満や厄除けの信仰がある。
スサノオと農耕文化と氷川神社
スサノオは海神や嵐神だけでなく、農耕神としても信仰され、オオゲツヒメ殺害の神話から穀物や蚕の起源が生まれたとされます。これが農業文化の象徴です。氷川神社はスサノオを主祭神とし、武蔵国を中心に200社以上あり、水田開発や治水と関連。スサノオの田畑破壊の悪行も、逆に農耕の破壊と再生を表すと解釈され、氷川神社は出雲族の影響で農耕文化の守護を担います。
徐福と農耕文化と氷川神社
徐福は渡来時に農耕技術を伝えたとされ、熊野や新宮などで土木・農耕の導入者として伝承されています。氷川神社とのつながりは、徐福が出雲や北関東に進出し、製鉄・農耕文化をもたらしたという仮説からです。蓬莱山(富士山)探求の伝説がスサノオの神話と重なり、氷川神社の出雲由来が徐福の影響を示唆するが、直接的な証拠は見つかっていません。
まとめ「徐福=スサノオ論」は成り立つか?

この仮説は、徐福が秦から渡来し、出雲でスサノオのモデルとなったというもの。徐福の家系が古く、渡来伝説が出雲神話(ヤマタノオロチ退治)と重なる点、両者が製鉄・農耕文化をもたらした点で支持されています。徐福の「徐国」起源がスサノオの名前に似る、またはスサノオの乱暴が徐福の王朝乗っ取りを象徴するという解釈もあります。ただし、考古学的証拠がなく、弥生時代の開始時期が徐福の渡来(紀元前3世紀)と一致しないため、成立しないとの反論も少なくありません。伝説ベースでの類似性が多く興味深い推論といえます。
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