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【日本の始まり】神皇紀と富士宮下文書:浅間神社木花咲耶姫信仰と徐福伝説

日本の歴史
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「宮下文書」は、中国秦の始皇帝の時代の錬金術師・徐福(じょふく)が日本に渡来し、超古代の歴史を記録したとされ、「徐福文献」とも呼ばれています。この文献は、古くからその地に住んでいた宮下家に伝えられてきました。宮下家は「古事記」「日本書紀」に登場する応神天皇の子・大山守皇子の子孫とされ、かつて富士吉田市明日見村に栄えた神代の神殿、阿祖山大神宮の宮司家でもあったといわれています。

「神皇紀」とは、1921年(大正10年)に三輪義熈(みわ よしひろ)という人物が著した日本の神代史に関する歴史書です。発表当時は「古事記」「日本書紀」に比べ合理的で現実的、整合性があると、朝日・毎日・読売各新聞の書評欄で絶賛されました。「神皇紀」の基となったのが富士山周辺地域に伝わる「富士宮下文書」です。

富士宮下文書の保管の変遷

徐福が到来した時、文字をもち歴史を伝える役割をしていた36神戸(36 の家系)が存在

していました。彼らがもっていた記録や伝承、口伝などにより、徐福は渡来以前の日本の超古代史を編纂したとされています。

徐福とは

徐福は、秦の始皇帝の時代に不老不死の仙薬を探しに、3000人の童男童女と100人の職人を従え、東方の神山へと旅立った方士。本名は徐市。日本への渡航は紀元前210年前後とされ、日本各地に徐福伝説が残っています。

富士山大噴火により寒川神社へ(西暦800年~)

徐福の死後もその子孫がその後の歴史の記述を加え、阿祖山太神宮の宝物として保存されていましたが、西暦800年の富士山噴火により、宝物を持って相模国に避難します。そこに移住し、寒川神社を創建し、伝来の古文書を保管することになりました。そのため「寒川文書」とも呼ばれることもあります。 

寒川神社とは

神奈川県高座郡寒川町宮山にある相模國一之宮です。年間約200万人にの参拝者が訪れ、神奈川県では鶴岡八幡宮に次いで2番目に多い神社です。約1600年前の雄略天皇の時代には既に朝廷より奉勅があり、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では、朝廷の名神祭に預かる名神大社に列格されました。

相模川の氾濫により流失(1282年~)

ところが、1282年、相模川の大洪水のため寒川神社は流され、古文書も流失した。 

幸いなことに小室浅間神社の49代宮司・宮下源太夫義仁(1192 年逝去)が筆写していた

古文書の写しが富士山元宮大神宮に伝えられていた。 

その後、足利氏により焼却されたりするなど幾つかの災難にあったが、焼け残った古文書(写し)を家人が隠し、宮下家の棟梁に密閉し隠蔽され、明治16年(1883年)開封された。

富士宮下文書(宮下文書)の内容と特徴

富士宮文書は。内容は、神武天皇以前の超古代史を扱い、漢語と万葉仮名を併用した記紀風の文体が特徴です。歴史家による検証では、助詞の用法や発音から、幕末期の成立と推定されています。

一方で、木花咲耶姫が富士山の火口に飛び込んで山の守護神となるエピソードは富士山信仰の根拠となり、「古事記」や「日本書紀」より合理的で整合性が取れているとの見方もあります。これがまた、後述による作為性とも捉えられてもいます。

人類発祥の地は須弥山

富士宮下文書によると、人類は須弥山と呼ばれる地から発祥したと言われています。須弥山の周辺は東西南北に分かれており、それぞれの方角に人種が発生したとのことです。

須弥山の所在については、天竺(インド)、蓬莱山(富士山)の説があり定かではありません。

須弥山とは

世界の中心にそびえるという高い山の名前。玄奘三蔵は妙高山と呼びました。古代インドのメール山(善を意味する接頭語のスを付けて『スメール山』)から派生したといわれ、三蔵法師は妙高山(みょうこうせん)と呼びました。バラモン教・仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教に共有されています。頂上には帝釈天と四天王や諸天がそれぞれの位に応じて住み、太陽と月が周囲を回転するという説です。

須弥山を中心として、七重の山が取り巻き、その山と山との間には七つの海があり、いちばん外側の海を鉄囲山(てっちせん)が囲むとされています。この外の四方の海に四つの州が広がり、その南の州に人間が住むとされています。

開闢神代歴代記(表)

宮下文書の開闢神代歴代記によると、人類初期の文明は大陸で展開されたことになっています。この時代を阿間野世(アマノヨ)7代、天之御中世(アメノミナカヨ)15代の神々と呼びます。以下、表をご参照ください。

時代場所トピック他書との照合
阿間野世(アマノヨ)7代天竺
天之御中世(アメノミナカヨ)15代中国大陸人間の生活のすべてが揃う
高天原世7代富士山周辺・天之御中世(アメノミナカヨ)15代目の神農氏の一族が東方にあるという蓬莱山を目指して移住。高天原と定める・神農氏の兄弟、国常立尊(クニトコタチノミコト)と国佐都知尊(クニサツチミコト)が東西に分かれて国を治める。
豊葦原瑞穂国5代・初代は大比留女尊(オオヒルメ)女王・新羅皇子の多加(タカ)王が攻め入り、オオヒルメは岩戸に隠れることがしばしばだった。やがて、タカ王は大己貴命(オオナムチ)らの説得により、オオヒルメを姉と慕うようになる。このとき、タカ王がオオヒルメに献上した剣と鏡、玉が三種の神器として受け継がれ、オオヒルメ以降、女性天皇の時代が続く・王位継承を拒んだ木花咲耶姫への入り婿によるニニギの国盗り・不貞を疑われた木花咲耶姫の富士山火口への焼身・記紀によるアマテラスとスサノオの関係とオオヒルメとタカ王の関係
・木花咲耶姫とニニギノミコト(天孫降臨と国譲り)
・木花咲耶姫の富士山焼身自殺とインド叙事詩「ラーマーヤナ」
宇家潤不二合須世(ウガヤフジアワスヨ)51代九州外敵が絶えなかったため、豊葦原瑞穂国5代目の阿曽男命(アソオノミコト)が最前線となる九州へ遷都
大和朝廷近畿地方・宇家潤不二合須世(ウガヤフジアワスヨ)51代目に起きた内乱を契機として畿内に遷都。ここから大和朝廷が始まる。・7代目孝霊天皇の紀元前218年、秦より渡来した徐福一行がさまざまな技術文化をもたらし、富士高天原に定住。阿祖山大神宮(現在の阿祖山太神宮とは別?)に伝わる神代記録や口伝を編集し「富士宮下文書」の原型を編纂
  • 初期文明は、天竺での阿間野世(アマノヨ)7代と震旦国(新タン国・中国大陸)の天之御中世(アメノミナカヨ)15代……人間の生活に必要なものがすべて揃う
  • 天之御中世(アメノミナカヨ)15代目の神農氏の一族が東方にあるという蓬莱山を目指して移住。高天原と定める
  • 目標となった蓬莱山は「高砂不二山(たかさごのふじのやま)」「日向高地火(ひゅうがたかちほ)の山」と呼ばれた。おそらく富士山のことで、九州の高千穂とは別との見方が有力
  • 高天原世7代……神農氏の兄弟、国常立尊(クニトコタチノミコト)と国佐都知尊(クニサツチミコト)が東西に分かれて国を治める。国常立尊は丹波の田羽山(丹波一之宮、出雲大神宮の御神体、千歳山といわれる)、国佐都知尊は富士山北麓の菅原の地に葬られる
  • 豊葦原瑞穂国5代……初代は大比留女尊(オオヒルメ)女王
  • 新羅皇子の多加(タカ)王が攻め入り、オオヒルメは岩戸に隠れることがしばしばだった。やがて、タカ王は大己貴命(オオナムチ)らの説得により、オオヒルメを姉と慕うようになる。(記紀によるアマテラスとスサノオの関係)このとき、タカ王がオオヒルメに献上した剣と鏡、玉が三種の神器として受け継がれ、オオヒルメ以降、女性天皇の時代が続く。5代目の阿曽男命(アソオノミコト)が外敵との最前線となる九州へ遷都
  • 宇家潤不二合須世(ウガヤフジアワスヨ)の誕生。51代目に起きた内乱を契機として畿内に遷都。ここから大和朝廷が始まる。
  • 大和朝廷、7代孝霊天皇の73年(紀元前218年)、秦より渡来した徐福一行がさまざまな技術文化をもたらし、富士高天原に定住。阿祖山大神宮(現在の阿祖山太神宮とは別?)に伝わる神代記録や口伝を編集し「富士宮下文書」の原型を編纂

神農氏とは

神農氏は、古代中国の伝説上の氏族であり、農耕と医療を司る神として崇められています。神農は、紀元前3000年頃に即位し、初代炎帝となったとされ、都を陳に置き、補遂国を滅ぼしたと伝えられています。

富士宮下文書の経緯

  • 延暦19年(西暦800年)の富士山大噴火により原本が消失。副本が寒川神社で管理される
  • 平安時代末期、阿祖山大神宮宮司の宮下家で写本を制作。
  • 弘安5年(1282年)洪水により寒川神社の写本が失われたため、宮下家の写本のみとなる
  • 室町幕府による弾圧、江戸時代の一揆に加担したため弾圧され、写本の多くが失われる。
  • 明治16~20年頃に封印が解かれ、世に出るようになる

神皇紀と富士宮下文書

「神皇紀」は、1921年(大正10年)に三輪義熈(みわ よしひろ)が宮下文書を基に著した概説書で、富士古文書のダイジェスト版と位置づけられます。第一編から第四編、附録系譜・図面などで構成され、1986年に影印本『神傳富士古文獻大成』全7巻、2011年に神奈川徐福研究会による現代語訳版が刊行されました。

1968年(昭和43年)岩間尹(いわまただし)が宮下文書を基に「日本古代史」を刊行。「神皇紀」で漏れた説話も収録して話題になりました。また、1988年(昭和63年)には、「宮下文書」のすべてを写真収録した「神伝富士古文献」が刊行されました。

神皇紀と阿祖山太神宮

阿祖山太神宮とは、渡邉政男氏が2009年(平成21年)に設立した神社です。山梨県富士吉田市大明見に位置し、富士山麓の超古代文明の富士王朝の中心となった天皇家縁の太神宮とされています。

公式サイトでは、宇宙の創造神たる「不二太神(富士太神)」を祀る日本最古の神宮であり、日本で最初に神様をお迎えしたところとされています。富士山の鬼門に位置し、噴火エネルギーの出入りを抑えているとのことです。

その主張は『神皇記』に基づき、不二高天原の時代は、300万年前から200万年前、この富士山麓の地で国常立太神により興され、元一太神(不二太神)を皇祖皇大神宮、別祖太神宮に祀り、巨石器時代から縄文時代の祭政一致の神都として繁栄していったとされています。

神代紀から浅間神社と木花咲耶姫信仰への系譜

富士宮下文書によると、日本の主な神社(伊勢神宮・浅間神社・八幡神社・賀茂神社・出雲大社・稲荷神社・大三輪神社など)は阿祖山大神宮から分かれたとされています。

古代の阿祖山大神宮の名残りのもっとも濃いとされる北東本宮小室浅間神社は、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と並ぶ浅間神社の重要な一社であり、木花咲耶姫が主祭神です。木花咲耶姫は、古事記・日本書紀に登場する山の神で、火中出産の故事から火難除け・安産の守護神として信仰されています。

木花咲耶姫が富士山火口に身を投げた理由

宮下文書では、彼女が富士山の噴火を鎮めるために自ら火口に身を投げ、不死身の守護神となる話が記され、これが富士山信仰の基盤を形成しています。そのいきさつについては木花咲耶姫がニニギの皇后として南の敵地ヘサクタヒコ(記紀の猿田彦)を伴い遠征した際、戦闘終結後にニニギから敵の子を身籠ったのではないか、と疑われたことで悲観。自らの貞節を証明するため、富士山の火口に身を投げたとされています。

また、ニニギとの出逢いについては「日向高千峯不二山堪録状」に以下のように記されています。

高天原の女王として君臨することを拒んでいた木花咲耶姫の噂を聞きつけた九州の王、ニニギが高天原の王にならんと富士を訪れ、周囲の説得により木花咲耶姫を后として迎え、国譲りが成立しました。

つまり、「古事記」「日本書紀」による「大国主」の国譲りは、出雲ではなく富士で行われ、ニニギノミコトが入り婿したことによる高天原の王権の譲渡だったのです。

徐福伝説とのつながり

徐福は、秦始皇の命で不老不死の薬を求めて東海に渡った人物で、日本伝説では熊野(和歌山県新宮市)に上陸し、富士山を蓬莱山と見なして定住したとされます。宮下文書・神皇紀では、徐福がBC219年頃に童男童女500人を伴い85隻の船で来日、3年かけて富士吉田の阿祖谷小室家に到着し、神代からの事跡を記録したと描写されています。

彼の子孫が歴史の記述を継承し、秦氏や福氏の氏族を形成したとする伝承も含まれ、徐福の墓(中室麻呂山)や関連神社(徐福神社)が富士山麓に存在することが信憑性を高めていることは間違いありません。

宮下文書と神皇紀の問題点

1921年に「神皇紀」が世に出たとき、合理性と現実性が焦点となり大いにもてはやされました。しかし、そういわれる所以は、近代の理に適っていたということであり、逆に古代から遠ざかっているのでは、という疑念が生じます。加えて「司令」「大本営」という近代用語の頻繁な使用が指摘されています。これらの語句が、時代のニーズに合致していたため、もてはやされたとも考えられます。

徐福伝説の信ぴょう性

また、日本全国に伝わる徐福伝説ですが、一方では、徐福は日本に渡来していないという説も有力になっています。史記に徐福の名前が出てくるのは、前漢の武帝(紀元前141〜87年)の時代です。武帝に反乱を起こそうとしていた淮南王(わいなんおう)に対して、事を急がない方がよいとたしなめた臣下の例え話として用いられています。臣下は「秦の始皇帝が晩年、不老不死を求めて徐福に騙されましたが、秦はすぐには滅びなかったではないですか。国というモノは、そう簡単に滅びるものではありません。ですから、反乱を急がない方がよいでしょう」と語ったといいます。

この話から、反乱を企てる密談が歴史書に記されるとは考えにくく、「徐福伝説」も創作ではないか、との声も少なくありません。

【まとめ】現代的な影響と議論

これらの文書は、新興宗教「不二阿祖山太神宮」の由緒としても用いられ、雑誌『ムー』などで特集された影響で、オウム真理教の富士山麓進出にも遠からぬ縁を感じさせます。度重なる消失により、後世になってから、一部の文献と口伝による編纂のため、言語が近代化されているのはやむを得ないでしょう。それゆえに、近代成立の偽書との疑念が消えません。

しかし、歴史的事実より精神世界の研究対象としての存在感は計り知れません。富士山信仰の象徴となるこれらの伝承は、木花咲耶姫の優美なイメージと徐福の冒険譚が交錯する魅力的なものです。

このテーマは、古代史のロマンと現代の解釈が交差する分野です。詳細な原文や現代語訳をお求めでしたら、下記のような関連書籍を参照ください。

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