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【日本の始まり】「竹内文書」の天地開闢:天津教の多角的な考察

日本のはじまり
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竹内文書に記された天地創造の物語は、『古事記』や『日本書紀』のそれとは根本的に異なり、宇宙論的かつ壮大なスケールで展開されます。 この神話は、宇宙の根源神である「天神第一代・元無極躰主王大御神」の出現から始まります。この神は「天地身一大神」と呼ばれ、「ナンモ」「アミン」「メシア」といった、日本の神話体系には見られない異名を持ちます。 この複数の宗教的語彙の混在は、竹内文書が日本固有の神話に留まらず、世界のさまざまな宗教や思想を取り込もうとする意図を感じさせます。

「天地身一大神」のとき、宇宙はまだ「天地未分ス、鶏子乃玉子如奈リ」(天地が分かれておらず、鶏の卵のようであった)という混沌とした状態でした。天神第二代の出現により、泥の海に岩石状の塊ができ、土と水がようやく分かれ、天地が玉のようになったとされます。

竹内文書の創成神話は、記紀神話が国常立尊をはじめとする神々の系譜に重点を置くのに対し、宇宙自体の物理的な形成過程をSF的な物語のように叙述している点で極めて特徴的です。

 竹内文書とは何か:概要と基礎知識

竹内文書とは、人類発祥より幾億年も昔に遡り神々の系譜となる皇室の歴史を記した古文書のひとつです。富山県富山市久郷を発祥の地とし、竹内家に代々受け継がれてきたとされています。日本が世界の中心であり、モーゼもキリストも釈迦も日本から学んだという壮大な物語が展開されていますが、あまりに荒唐無稽と一笑に付せられることが少なくありません。

しかし、偽文書と断定してしまうと、それ以上の研究が閉ざされてしまいますし、不安な現実を生き抜く拠り所を失いかねません。ここでは、なぜこのような文書が伝わり、宗教の経典のような扱いを受けたり、あるいは歴代の権力者たちから迫害されたりしてきたのか、さまざまな角度から検証していきます。

竹内文書と天津教~竹内巨麿

竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ)は、皇祖皇太神宮天津教の開祖、竹内巨麿によって昭和初期に公開された一連の文書群および神宝の総称です。 この文書群は、漢字が伝来する以前の古代日本で使用されていたとされる「神代文字」で記された古文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫である平群真鳥が漢字とカタカナを交えて翻訳した写本群、さらには文字が刻まれた石や鉄剣などの「神宝」から構成されています。

文書の存在は、竹内巨麿(たけうちきよまろ)が自らを平群真鳥(へぐりのまとり)の子孫である竹内家に養子として入ったと称し、1928年(昭和3年)3月29日に公にしました。 文書は、武烈天皇の勅命により封印されていたものが、時を経て再び世に出されたとされています。

皇祖皇太神宮天津教の創始と文書の関係性

竹内巨麿は、御嶽教の神職を務めた後、1900年(明治33年)に独立し、皇祖皇太神宮天津教を創立しました。 竹内文書は、竹内家に代々伝わる古文献とされていたのですが、巨麿が創始した天津教の教理と結びつくことで、同教団の教典として位置づけられるようになりました。竹内文書は単なる歴史書ではなく、天津教という宗教の「聖典」としての役割を担っています。

天地開闢後の独自天皇史観

竹内文書の歴史観は、『記紀』の正史とは全く異なる独自の天皇系譜を提示しています。 『記紀』が神武天皇を初代とし、それ以前を神々の時代として扱うのに対し、竹内文書は神武天皇の遥か以前に「天神7代」「上古25代」「不合朝73代」という超古代王朝が存在したと主張しています。 この壮大な歴史観は、記紀の記述を根底から覆すものです。その系譜の根本的な違いについて下記表にまとめました。

時代竹内文書の系譜古事記・日本書紀の系譜
神代天神7代神世七代
超古代上古25代(または皇統25代)(存在しない)
神武天皇以前不合朝73代神武天皇の父(鵜葺草葺不合命一代のみ) 
神武天皇以後不合朝73代、神武天皇により都が大和に移され、神倭朝となる紀元前660年1月1日、神武天皇が橿原宮で即位(天皇制の始まり)

この表が示すように、竹内文書の歴史観は、日本の正史とは時間軸と王朝の連続性が全く異なります。特に、不合朝(ふきあへずちょう)は、火火出見命(ホホデノミコト)の子、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)が開いた王朝とされ、『記紀』では神武天皇の父として一代で扱われる神が、竹内文書では73代にもわたる一大王朝を築いたことになっています。

この不合朝の天皇たちは、「天浮船」と呼ばれる空飛ぶ船に乗って世界中を巡幸し、万国を統治していました。 文書には、不合朝の天皇がオーストラリアやヨーロッパなど、世界各地を訪れたとされる具体的な記述も含まれ、日本が古代から世界を支配する中心国家であったという思想が強く打ち出されています。不合朝の最後の天皇が神倭朝の初代神武天皇です。

竹内文書における天地開闢と天皇家の系譜

天地身一大神から天神七代~人類発祥へ

「竹内文書」によると、日本の皇室の歴史は人類発祥より幾億年もの昔「年暦無数」へ遡るとされています。

「竹内文書」は、世界がまだ鳥の卵のように丸く混沌としていた天地未分の頃を神とし、「天地身一大神(あめつちまひとつおおかみ・別名アミン・メシア・ナムモ)」と呼んでいます。「天地身一大神」は神道において重要な神であり、宇宙の開闢を司る神です。

混沌が天地に分かれ、天空の運行と共に無数の星が生まれ、地球上に人類が誕生する過程を「天神七代」としています。

その人類発祥の地が「天越根(あめこしね)」と呼ばれる日本の富山県富山市久郷の地です。はるかな太古に「皇祖皇太神宮」と呼ばれる黄金造りの神殿があったと言われています。

上古二十五代

天神七代の次に来るのが上古二十五代、いよいよ人類の歴史になります。上古二十五代は、一部「古事記」や「日本書紀」と重なる部分があり、

  • たとえば、「古事記」の始源となる造化三神の一柱「天之御中主命(アメノミナカヌシノミコト)」は上古第4代天皇「天之御中主命神身光天皇(アメノミナカヌシカミミヒカルスメラミコト)」とされ、
  • 「日本書紀」の始源神「国常立尊(クニノトコタチノミコト)」は、上古第14代天皇「国之常立身光天津日嗣天日天皇(クニノトコタチミヒカリアマツヒツギアメノスメラミコト)」、
  • 天照大神(アマテラスオオカミ)」は上古第22代天皇「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇(アマサカリヒニムカイツヒメノミヒカリアマツヒツギアメノスメラミコト)」とされています。

この上古第22代の天疎日向津比売身光天津嗣天日天皇(天照大神)は、弟の速進男尊(はやすさのおのみこと)= (記紀のスサノオ) の子どもを養子として、以後皇嗣を継がせたといいます。速進男尊は大陸に渡り「進男檀君尊」と呼ばれ、朝鮮始祖となりました。つまり、天照大神の後の皇位は、すべてスサノオの血統であり、古代朝鮮の王統と日本の皇統は同一ということになります。

また、この上古二十五代の時代には地球上で天変地異が多発し、天皇は「天空浮舟」に乗って難を逃れ、全土を巡行して被災地の復興を促したとされています。

不合朝(フキアへズチョウ)七十三代

不合朝第10代、千足媛天皇(チタルヒメスメラミコト)の時代、ミヨイ・タミアラ、ユカタン半島周辺やインド南方の島々がいっせいに海に沈んでいます。この記述にある地名、ミヨイをムー大陸、タミアラをアトランティス大陸、あるいはミヨイ・タミアラを合わせてレムリア大陸とする説があります。また、下記のような事象から、この時代の日本は世界の中心であったと推察されます。

  • 第12代、弥広殿作(イヤヒロトノツクリ)天皇の御世には、世界最古のピラミッド(広島県庄原市の葦嶽山)建設
  • 第69代、神足別豊鋤(カミタルワケトヨスキ)天皇の御世には、モオセロミュラスが来日し、教えを請う(ヘブライの預言者モーゼとローマの建国者ロミラス?)
  • 第70代、神心伝物部建(カムココロツトフモノノベタテ)天皇の御世、インドから釈迦若王子(仏陀)が来日

モオセロミュラスも釈尊も日本での学びを活かして祖国を教化し、晩年は日本で隠棲しました。特に、モオセロミュラスについては、海を割った後に「天浮舟」に乗って来日し、十戒を天皇に献上し、石川県において583歳で息を引き取ったとされています。

神武天皇による大和政権(神倭朝)の誕生

不合朝末期、度重なる天災と反乱に耐えかねた73代神武天皇は皇祖皇太神宮を離れ、大和へ新しい宮を建てました。現代に繋がる神武天皇による神倭朝の誕生です。以後の皇統は記紀と同様になりますが「竹内文書」には以下のようなことが記されています。

  • 垂仁天皇の御世にイエス・キリストが来日(ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟のイスキリであり、キリストは日本で生活。青森県新郷村に墓)
  • 推古天皇の御世にムハンマド来日

「竹内文書」への度重なる弾圧

日本初期においては暴君のイメージが強い武烈天皇(498~507)ですが、渡来人の勢力拡大を危惧し、皇室の真の歴史を「平群真鳥(へぐりのまとり)」という重臣に持たせて越中の皇祖皇太神宮に逃がしたとの説があります。秘密裡に行われ、公には平群真鳥を処刑したことにしたため、後に皇室の歴史を編纂した渡来人が、武烈天皇は無実の平群真鳥を殺した残虐な天皇として記しました。

尚、平群真鳥は武内宿祢の孫であり、その後、竹内となり代々皇祖皇太神宮の神官を務めることとなりました。

皇祖皇太神宮への圧力と災害

皇祖皇太神宮は、南北朝時代には南朝の拠点として足利幕府と敵対し、後醍醐天皇や長慶天皇をかくまっていたこともあります。そのため、幕府の徹底的な弾圧に遭い、神宝や記録・古文書等を瓶に詰めて地中に隠さざるを得なかったと言います。

その後の戦国時代には、一向一揆による神殿破壊と神官虐殺という難に遭い、江戸時代になると領主前田家による度重なる迫害を受けます。そしてついに、宝永七年(1710)の神通川の洪水によって建造物のすべてが押し流されてしまいました。

竹内巨麿・天津教による皇祖皇太神宮の再建も不敬罪容疑

1892年、竹内巨麿は竹内家伝来の新宝・文書を引き継ぎ、明治43年(1900)天津教として皇祖皇太神宮を再建します。しかし、官憲の弾圧に遭い、昭和11年(1936)不敬罪容疑で提訴され、竹内文書は最高裁に差し押さえられたまま東京大空襲で焼失してしまいます。竹内巨麿自身は無罪放免となりました。

「竹内文書」による世界の中心としての日本と「五色人」

竹内文書は、日本が世界の中心であり「皇祖皇太神宮」は全世界の中心であると説いています。 さらに、世界に存在する五色人(黄人、赤人、青人、黒人、白人)は、約2,000億年前に日本から世界各地に散らばった皇子たちの末裔であると主張しています。オリンピックの五輪色は、この五色人を起源としているとのことです。

竹内文書が公開された昭和初期は、日本が満洲事変を経て大陸へと勢力を拡大しようとしていた時期です。この時代、欧米列強による白人至上主義的な世界観が支配的であり、そのような状況下で、日本は自国の優越性を主張する精神的な支えを求めていたとされます。竹内文書が語る「太古の天皇が世界全体を統治していた」という壮大な歴史観は、当時の軍人や国家主義者、宗教家を強く惹きつけたのは間違いありません。

竹内文書が、満洲事変後の日本の帝国主義的行動を鼓舞する「自己正当化の材料」として機能し、白人至上主義に対抗するための「妙薬」として受け止められたのです。

文書を巡る動乱:天津教事件と偽書論

天津教事件の背景と弾圧の構図

昭和初期、竹内文書と天津教の活動は、社会的な注目を集める一方で、国家権力との深刻な対立を引き起こしました。その背景には、文書が持つ二律背反的な性質がありました。文書は「八紘一宇」的な世界統治の物語を通じて、日本の優越性を強調し、軍人や国家主義者の関心を引く一方、天皇家の系譜を記紀の正史とは全く異なるものとして描き、伊勢神宮の権威を矮小化する内容を含んでいました。

このような独自の歴史観が、国家の「皇国史観」に反するものと見なされ、内務省の特高警察は、皇室の系譜や国史を混乱させる危険性があると判断し、竹内巨麿らを不敬罪で検挙したのです。この事件は「天津教事件」と呼ばれ、文書の内容の真偽だけでなく、それが国家神道に基づく天皇制イデオロギーに挑戦するか否かという政治的な文脈で問題とされました。

裁判の経緯と無罪判決の意義

天津教事件の裁判は、1937年(昭和12年)に竹内巨麿が不敬罪で起訴されてから、長期にわたって争われました。 一審では有罪判決が下されたものの、竹内巨麿は上告し、最終的に1944年(昭和19年)に大審院(現在の最高裁判所)で無罪を勝ち取ります。無罪判決の理由は、「この問題は裁判所の権限を超える宗教問題である」、あるいは「単なる証拠不十分である」とされています。

竹内文書の原本は裁判の過程で証拠品として押収され、そのまま、1945年(昭和20年)の東京大空襲により焼失したとされています。無罪判決が文書の真偽を断定しなかったことと、原本の焼失により、竹内文書は「偽書」としての批判に晒されながらも神秘性を増し、その真偽論争が永遠に決着しない「伝説」へと昇華されてしまいました。

竹内文書の問題点:学術的検証と「偽書」論

まず、「竹内文書」に記された神代文字の存在自体が学術的に認められていません。また、写本にはヒウケユヒルス国コロンビア・オストラリ国メルボルン宮・ヒウケエビロスボストンなど、古代に存在しなかったはずの近代の地名が登場するという、明白な時代錯誤(アナクロニズム)が指摘されています。文体や語彙に近代的な表現が混じっていることは、後述になるため仕方ありませんが、後述自体が捏造を意図していたことも否定できません。

さらに、日本人のユダヤ人起源説を唱えた酒井勝軍が求める「モーゼの十戒石」や「日本のピラミッド」といった神宝や記録が、タイミングよく「次々と発見」されていった経緯は、特定の目的に合わせて都合よく内容が付け加えられていったとも考えられます。

「明治奇人今義経鞍馬修業実歴譚」と「正統竹内文書」

「明治奇人今義経鞍馬修業実歴譚」と赤池の「椀貸伝説」

「明治奇人今義経鞍馬修業実歴譚」とは、天津教を開教した竹内巨麿が長峯波山に書かせた伝記です。それによると、竹内家の裏の赤池には隻眼の白竜と魚類が棲むといわれ、竹内家で宴が催されるとき、頼みに行けば椀や膳を貸してくれるという逸話が記されています。こうした自然界のものがお椀やお膳を貸してくれるという「椀貸伝説」は全国に伝わり、また、隻眼の龍や魚類の伝説も多く残っています。

民族学者の谷川健一(1921~2013)は、隻眼の龍や魚類伝説の近くでは、製鉄所跡や銅鐸遺跡などが見つかるため、隻眼の龍や魚類は、高天原における鍛冶・製鉄の神様「天目一箇神(アメノマヒトツ)」ではないかと指摘しています。

三重県桑名市多度町の一目連神社のご祭神アメノマヒトツは、隻眼の龍を象っています。「明治奇人今義経鞍馬修業実歴譚」に登場する赤池の白竜も隻眼であり、アメノマヒトツの流れを汲むと想像されます。そして、アメノマヒトツを漢字に置き換えると「天地身一大神」となり、すなわち「竹内文書」に伝わる天地開闢・宇宙の根源神「元無極躰主王大御神」を表します。

正統竹内文書

UFO研究・竹内文書研究で知られる高坂和導(1947~2002)は、「竹内文書」こそ、高度文明の異星人が地球の文明を指導した証拠文献であり、皇室はその直系とされ、竹内文書を巡る物語は竹内巨麿の系統だけではないと述べています。

武内宿禰の末裔を自称する竹内睦泰(たけうち むつひろ)は、竹内巨麿の文書とは別系統の「正統竹内文書」が存在すると主張し、門外不出の「口伝」を中心とした古神道の奥義を伝えてきたと述べていました。

この「正統竹内文書」という新たな言説は、都合よく歴史的証拠を提示していた竹内巨麿の文書の真偽論争を巧みに回避する論理構造を持ち、より根源的な「口伝」こそが本質であると主張することで、新たな「正統性」を構築しました。

【まとめ】歴史・宗教・文化が交錯する竹内文書

情報化社会と言われて久しい年月が経ちますが、私たち現代人は、その情報に踊らされている面もあります。遡る歴史の情報は新しい発見と共に覆され、また折々の権力によって塗り替えられてきました。

しかし、先人の記憶は、私たちの意識の底に刻み込まれています。そしてその記憶は、私たちが自らの価値観の危機に直面したとき、意識の表層に浮上してくるのです。1930年代の社会的アノミーの反動としての大本教や天津教など新興宗教の台頭はその表意現象に他ならなかったのかも知れません。

都合よく書き換えられてきた歴史に対して、点と点を繋ぎ合わせる多くの想像力が発揮されなければ、真実に近づくことは困難でしょう。古史古伝を偽書・オカルトと封じ込めずに、比較検討しながら寛容な心で繋いでいきたいものです。

参考文献・サイト



【完全版】ホツマ・カタカムナ・竹内文書・先代旧事本紀 (ホツマ・カタカムナ・先代旧事本紀) [ エイヴリ・モロー ]


正統「竹内文書」の謎【電子書籍】[ 竹内睦泰 ]

竹内文書 – Wikipedia

竹内文書から発見されたキリストの墓と遺書⁉

いかさまの話

古史古伝『竹内文書』 – 古代ジパング探求

竹内巨麿 – Wikipedia

「竹内文献」が語るSF的創世神話 – DTI

神世七代 – Wikipedia

竹内文書 – 日々徒然スピ日記(にゃべ ) – カクヨム

#3 記紀時代の天皇を覚えよう【日本古代史のすゝめ】|トルバドール – note

古文書が示す日本人のルーツ(裏)|書紀のタカハシ – note

神武天皇- 维基百科,自由的百科全书

No.115【石川県】十戒の「モーゼ」は日本にやって来て583歳まで …

竹內文書年表 – MIKO.ORG

【対談】古代の智慧『竹内文書』が宇宙の真理を解き明かす|ビジネス社 – note

竹内文書・竹内文献 – 皇祖皇太神宮

実はキリストは日本に住んでいた⁉

宗教弾圧と「聖戦」 永岡崇 |歴史|中央公論.jp

「竹内文書」の目的はなにか?- – 公式 TO

後醍醐天皇竹内文書 – BIGLOBE

狩野亨吉『天津教古文書の批判』

皇祖皇太神宮天津教 – Wikipedia

「物語」と「真実」 – 富山大学人文学部

「可能性はないとは言えない」という極めてあり得ない可能性

史料批判 – Wikipedia

偽書 – Wikipedia

古代の叡智『竹内文書』と神秘秘伝の術事 – 徳間書店

失われた八咫烏の古史古伝「竹内文書」の謎 ムー・スーパーミステリー・ブックス : 飛鳥昭雄

MU SUPER MYSTERY BOOKS 失われた八咫烏の古史古伝「竹内文書」の謎 – 紀伊國屋書店

今だからぜんぶ話そう!シン・竹内文書―世界史の中心はやはり日本!Zipanguだった!?

正統竹内文書の日本史「超」アンダ-グラウンド 2 / 竹内 睦泰/秋山 眞人/布施 泰和【著】

竹内睦泰 – Wikipedia

【著:竹内睦泰】古事記の宇宙 ー古神道的考察ー | 茨城の寺社巡りなら「茨城見聞録」

歴史を覆す正統竹内文書・竹内睦泰先生の話 – 神社チャンネル

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